こんばんは、彼方です( ´ ▽ ` )ノ

昨日は寝る気になかなかなれず、そのままずるずると外が明るくなって来てしまい、一応薬を飲んで寝ましたが、効果が恐らく抜け切らず、午後から今まで寝ていました。

正午に飲む予定の持病の薬は、頑張って起きて飲みました。

今日はやりたい事がほぼ出来ない日でした( ´△`)

寝起きの時間も、さっき漸くバレットジャーナルに書きました(^-^;)

少し動くと疲れるのもまだ影響してるかな、と。

今日はドール。

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4月から母に「畳屋さんの畳を買いにフリマ行きたい(お客として)」と言ってありました。

リカちゃん用畳です。

昨日、お食事に入ったお店の横の物産館で見つけました。商品見て、びっくりして、慌てて裏返したら間違いなく私のフリマのお仲間の畳屋さんの住所が書いてありました。

うちのリカちゃんは、試してみたところ、正座は出来ないみたいですが、畳があると和装も映える気がしています。

上のつまみ細工は私の過去作品です〜

部屋にこういう在庫だらけです(^-^;)




テレビの謝罪会見などを見て、思います。

「報道にあった事は事実でしょうか?」などという記者の質問に対し、

“ありのままに”「間違いございません」と言える方、
「そういった認識は無かったのですが、私の認識不足からこのような事態を招いてしまい…(後略)」みたいに言う方、

前者って“起きてしまった事は仕方無い”として、“これから”を見ている、と感じます(ノ´∀`*)

良い事に「ありがとう」は言い易いものですが、自分から見て、耳の痛い指摘に「ありがとう」はなかなか言いにくそうです。

だから「間違いございません」とは言えないのかもしれません。自分の間違いを認める、自己否定になります。

…私もありのままに認める、を頑張っているところですが、悪い事に「ありがとう」を言っている時が自分の中では一番人間として成長するみたいだ、と気付きました。

そして、何だかんだと言い訳する方より、潔く自分の罪を認める方だと記者の方々の追及も優しいなと感じました。

何だかんだと言い訳から始まると、記者の方々の追及は更に厳しいものが多いように感じます。声も切迫して聴こえます。

潔く認める方には、記者の方々の追及は追及と言うより、会見してる方の側の一理ある言葉を尊重して下さっているように聴こえます。

生きてると良い事も悪い事も来ますから“ありのままに”笑ったり泣いたりしていたいです。


いつも来て下さる方々、拍手を下さる方々、ありがとうございます(*´∀人)

ではまた(≧▽≦)ノ

話題:ドール