おはようございます、彼方です(*´∇`)

いや〜、ブログ更新がまばらになっていますね。

身体が少々しんどくて、思うように活動出来ません。

以前、非常に不愉快なツイートを見て、大激怒した事がありました。

罪悪感を刺激されたから、でした(≧ω≦;)

怒りを殆ど出せない私にしてみれば、大きな前進でしたから、大変感謝しています。

そして今、同じような事を人間関係のトラブルに対して感じています。

今日はスピリチュアル。

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人というのは、 皆さん優しいです。

心を持ってる、そんな存在だからです。

心ある優しい人というのは、誰かの犠牲を望みません。

犠牲になるなら、自分だけでいい…そう考える気がします。

映画なんかの勇敢な男性は、正にそうですよね(ノ´∀`*)

自分の事を一番最後に考えます。

それでも、実際生きていると必ず何かが犠牲になります。

誰かに不快な思いをさせたり、誰かを知らず知らず泣かせてしまったり、誰かのお世話になったり、迷惑を掛けてしまったり、

生活すると食べ物を食べますから、作物や動物が犠牲となり、呼吸をすると地球が犠牲になる気がします。

避けられません。

避けられない、と解っていながら、本当に優しければ優しい程、生きているだけ、存在しているだけで謝り通しになります。

何かを犠牲にしている、と解るから胸が痛み、ひたすらに謝り続ける事になります。

他人様には「ごめんなさい」はどう聞こえているか、私には解りません。

私には「ごめんなさい」は「許して下さい」と聞こえています。

本当に優しく生きようと努力しても、どうしても避けられないものがあり、だから最終的に生きているだけ、存在しているだけで「ごめんなさい」を言い続ける事になります。

生きているだけ、存在しているだけで、相手は「許して下さい」と許しを求めているのです。

じゃあ、許して差し上げるのが正解ではないかな、と私は思ってしまいます。

何故なら、生きている、存在しているという事自体は本人に責任があるとは呼べないからです(^-^)

本人は悪くないと自分でも解りながら、思わず「許して下さい」と言っています。

それを許せない側が未熟に見えています( ´△`)

私には感謝の言葉は「許しています」と聞こえています。

字が違いますが、「赦す」というのは「存在を認めていますよ」という意味でもあるからですね(*´ω`*)

罪も無いのに謝罪している相手を責める方が間違えているような、そんな気がしますよ。





いつも来て下さる方々、拍手を下さる方々、ありがとうございます♪

ではまた(≧▽≦)ノ

話題:罪悪感

私もあまり自分を責めないように、今日もゆっくりします。