こんばんは、彼方です( ´ ▽ ` )ノ

最近、母に推しの整体があるらしく、近々整体を受けてくる事になりました(*´ω`*)

本日、電話して予約を取りました。

人気みたいだなぁと、整体院さんの口コミを見て、思いました。

今日は購入品。

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ダイソーさんのPostcard、前の5種類も私は満足に手に入れておりませんが、新色が出ていたのでびっくりしました。

Postcardは300円の大玉でしたが、今回出たのは小さい1玉100円の玉でした。

種類は、上から順に、

・モロッコの小路
・フランス冬の休日
・雨上がりのコロンビア
・カッパドキアの気球
・アムステルダムの運河

でした。

全体的に、明るくてわくわくする色使いだなぁと感じております(*´ω`*)

全てブルガリアスカートにしたいです(*≧ω≦)



「大欲は無欲に似たり」という言葉があります。

兼好法師の言葉です。

保育園児の頃は茶碗などの洗い物、小学生に入ったら炊事、洗濯などの家事、妹の育児、保育園にお迎え、習い事などの塾、通信教育、宿題、そして勿論、学校もありました(^-^;)

父は、私に様々な事を叩き込みました。

暴力など当たり前でした。

遊びに行きたい盛りでも、勉強しなければなりませんでした。

泣きながら勉強机に向かっている事もありました。

かと思えば何が原因か解らない事で理不尽にも父に「さっさと寝てしまえ馬鹿野郎!」と怒鳴られて、泣きながら眠り、出来なかった宿題を先生に出す羽目になったり、

そして10歳になった私に「お前を育てるのは失敗したから、○○(妹)はちゃんと育てようと思う」と、吐き捨てられて。

私に様々な事をやらせた“大欲”がありましたが、

では実際はどんな子に育って欲しかったか?というと「いい子に育って欲しかった」とか、そんな“無欲”に近いものに収束されると思います。

「好きな家族は誰?」とか訊かれたら、
「お父さん!」とか答えて、にっこり笑ってくれるような、ただただ、そんな子になって欲しかっただけだと思います。

それならば、父の価値観の物差しで、あれは駄目、これは駄目、それはこうしろ、そんな感じに父が敷いたレールの上を私に歩かせるのではなく、

子どもをただ信じて、失敗しても成功しても、ただ受け止めていたら、それで良かったのだと思います。

何も望まなくて良かった、“無欲”で本当は良かったのでは無いのかな?と今の私は思います。

成功だけしている子どもだったらさぞ、可愛かったでしょうけれど、

失敗しないと人は成功しないのではないのか?

と思います(;A´▽`A

失敗したら烈火のごとく怒られていて、

人生開始して間もない時は“生まれて初めて”の体験が多いです。

茶碗を洗って怒られてばかりいたら、誰が「今後とも責任持って洗おう」と思うでしょうか。

テストの点数だけで人を見て、普段泣きながら勉強しているのを知っている筈が、烈火のごとく怒っていたなら、誰が「またテスト頑張ろ☆」と思うでしょうか。

父は父の望む私になって欲しかったかもしれませんが、他人を思い通りの人格に育てようとするなど、傲慢です。

それは人のおこないではありません。

私はわたし。

そう受け止めてくれるだけで、もしかしたら自然と“いい子”になったかも、しれません(^-^;)


いつも来て下さる方々、拍手を下さる方々、ありがとうございます(*´∀人)

ではまた(≧▽≦)ノ

話題:ハンドメイド関係の購入品★

父は「こんな子どもを育ててる優秀な父親」に見られる事を望んでいたのかなぁと、しばしば思います。

傲慢も度を超えると、ただのかまってちゃんです(;A´▽`A

子どもは親を飾るアクセサリーではないのですよね(*´・д・)