私にはケイタイがない。友達が、いないから。でも本当は憧れてる。いつも友達とつながっている、幸福なクラスメイトたちに。「私はひとりぼっちなんだ」と確信する冬の日、とりとめなく空想をめぐらせていた、その時。美しい音が私の心に流れだした。それは世界のどこかで、私と同じさみしさを抱える少年からのSOSだった……。(「Calling You」)
誰にもある一瞬の切実な想いを鮮やかに切りとる“切なさの達人”乙一。表題作のほか、2編を収録した珠玉の短編集。

***

先ずは表題作、「Calling You」について。

主人公に対して苛立ちを感じる人間もいるでしょうし、共感を感じる人もいる。

主人公のリョウという少女は、私にとっては共感出来るタイプのキャラクターでした。

リョウの身の回りで起こる事、思考の型、学校での立ち位置が痛い程に良く解ります(でも、まだ頭の中からメロディーが流れて来た事はありません)。

自分では精一杯生きているし、それなのに何故周囲とこんなにも温度差があるのか解らない。

だから、電話を掛けて来たシンヤみたいな理解者の存在はこの上無く愛しくて大切に思えて、絶対に失いたくない、失う訳には行かない……という悲愴な気持ちが伝わって来ました。

1人でいる人は、1人に慣れてはいるものの独りぼっちは悲しいと思うだろう…と私は思います。

人間が1人になった時の辛さが良く解るから、距離に関係無く誰かと繋がる携帯電話を求めるのだと思います。

この物語は少しばかり古い…というか現代の携帯電話が進化する速度が早いのかもしれませんが、この物語が書かれた当時に一般的だった平面で小さいタイプの携帯電話が登場します。折り畳み式とかスライド式が無かった頃の物語です。

それでも、頭の中にある携帯電話からメロディーが流れ出し、実際に知らない人に繋がった、という設定は昔と変わらず色褪せていないと思います。

漫画版もそれぞれ別の本を2冊持っていますが、そちらは原作には無い場面や台詞が多く、それはそれで大好きです。

ドラマCDも友人に聴かせて貰いましたが、聴いている間は自分の傷口を自分で割って塩を塗り込んでいる様な心境になり、聴き終えた後は傷口から塩を洗い流して手当した様な心境になりました。

解り辛いですね、済みません。

***

『傷−KIZ/KIDS−』は人の傷を自分の身体に移動させたり、他人の身体に移動させたり出来る少年・アサトとそのアサトを気に掛ける主人公の物語でした。

映画化もしましたね。

アサトの身体に傷が移動すると、その傷が出来た時に受けた心の傷までがアサトに移動する様に思えて、読んでいて胸が痛かったです。

『華歌』は恋人を事故で失った“私”と、病院の雑木林で見つけた1輪の花の物語です。

角川スニーカーらしからぬ物語で、また最後に大ドンデン返しがある物語だとも思っています。

事故に因って受けた絶望が、花の歌う歌に因って少しずつ和らいで行く、というベタな構成かもしれませんが、“私”の内面の苦悩とか葛藤とか、最後には生きて行く為の道筋を見つけたりとか、今、苦しんで生きている人に生きる為のヒントをくれる物語だとも思っています。タイトルの『華歌』ですが、花が歌う“鼻歌”と掛けているという事に再読してから漸く気が付きました。

読んでいると塞がった筈の傷口がまた痛くなる様な時もある短編集ですが、それでも本当に辛くなった時はまた読みたくなる短編集です。

どの物語も、乙一さんらしい、思い付きそうでそうそう思い付かない設定が白眉です。





「人に笑われるのはつらいよね。でも、きみのそれは欠陥なんかじゃない。まわりに、本心のない言葉が多すぎるんだ」