こんばんは、彼方です( ´ ▽ ` )ノ

私は、私が助けた人物が沢山喜んでいるのを見ると、とても罪悪感を感じるなぁ、と最近見つけた認知の歪みです。

嬉しい時は喜んでいい!と思いますが、私自身は父などが助けてくれたら「ごめんなさい」でした。

助かった〜!やった〜!と思ってはいけない、という縛りが自分ルールにあるようです(他人様に喜ぶなとは言いませんが、周囲が怒るのではないかと見ていてヒヤヒヤする、と気づきました)

別件ですが、前回カウンセラーさんと話した時に嬉しい時、楽しい時に「子どもらしい感情を禁じられていたんだね」と言って貰いました。

これは考えてみたい事の1つですね(*´∀`)♪

今日は購入品。

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検索したらお灸の話題書きがあったので、私が普段使っているお灸をUPしますヽ(*´∀`)ノ♪

画像は一番下です〜(´▽`*)

緑系のラインが入った箱は、火を使うタイプ。「せんねん灸の奇跡」シリーズです。煙は出ませんが、匂いはします。よもぎの香りって、何だか落ち着きます。

祖母に初めて、火を使うお灸を据える時、火を使うと聞いて怖がっていましたが、今は「部屋からお灸とってくるから、ここにいてね」と言うと、ちゃ〜んと待っていてくれます(人*´∀`)

普段はソフト、効かないなぁと思う時や、足の裏など皮膚が厚いところにはレギュラーを使っています。

白っぽい箱に入っているのは「せんねん灸 太陽」という、懐炉のように長持ちするお灸です。

祖母にはこちらも据えていて、今日も丁度据えてきましたが「これ効ぐなぁ」と言ってました(ノ´∀`*)

お灸というのはツボに据えるもので、長くじっくり温めたいツボは長持ちする太陽で、その日のちょっとした疲労には奇跡、と使い分けています。

私は今、肝臓デトックスチャレンジ中です。

祖母に初めて太陽を据えた時は足三里というツボに据えましたが「2度とやらせねー!」と言い出したくらい、疲れがドバーっと出たようで(^-^;)

私も同じく足三里に太陽を起きましたが、疲れがドバーっと出たようで、もう、足が重い!上がらない!

数日したら軽くなり、怖々とまた足三里に据えてみましたが、もうあんなに足が上がらないなんて事は無いです〜

ツボが血行不良を起こしていると、お灸は熱くはないそうで、確かに熱いとは感じず、初めて太陽据えた時の祖母も「全然熱くないけど、効いてるの?」と。

今日も足三里に太陽を据えました(*´ー`*)
「2度とやらせねー!」からの「お灸効ぐなぁ」に変わりました( *´艸`)

お年寄り、という事で、お灸は小さい頃に体験した事があるそうです。



「ごめんなさい」という言葉は、使い過ぎたら自分自身の事が嫌いになって、世界中が自分の敵のように感じられて、何を見ても自分が責められているように感じられて、

それは言葉に出さなくても「ごめんなさい」を内心感じているかたも、そうだと思います。

私自身がそうでした。

この世界の全てが敵に回り、私が生きようが死のうが、関心無いかのようでした。

日本人は「あの人、何なの?!信じられない!!」とか言っているかたを見ると「私のこと?(ハラハラ)」と思うのに、

「今日はあの人のお陰で助かったわ」と言っているかたを見ると「誰のこと?」と思ってしまうそうです。

それ、日本人が「ありがとう」の代わりに「すみません」を言い過ぎた結果ではないのかな、と思います。

どちらも必要な言葉ですが、必要以上の「ごめんなさい」を言うのも、言わせようとするのも、恐らくよしたほうが、自分自身の為なのかも、しれません。

勝つか負けるか、という今の日本に多い考え方は何だかズレてるように私には見えて、勝ったら負けたほうを謝らせる、なんて方向に行ってしまうと、益々変な考え方だと思います…

同じく日本の考え方ならば、剣道の考え方が好きですね♪( ´∀`)人(´∀` )♪

剣道は他のスポーツのように、勝ったら「イエーイ!」という感じではないです。

それはマナー違反のルールだそうで、勝とうが負けようが相手も尊重します。

それが好きですね(´▽`*)


いつも来てくださる方々、拍手をくださる方々、ありがとうございます(*´∀人)

ではまた(≧▽≦)ノ

話題:お灸

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』にありますが、

自分が勝ちたい、自分だけ勝ちたいというエゴの持ち主は、お釈迦様が見ていたら、蜘蛛の糸を切ってしまうかも、しれませんね(ノ´∀`*)

皆が良ければそれでいい、で生きたいものです。