怪異譚を蒐集するため諸国を巡る戯作者志望の青年・山岡百介は、雨宿りに寄った越後の山小屋で不思議な者たちと出会う。
御行姿の男、垢抜けた女、初老の商人、そして、なにやら顔色の悪い僧――。長雨の一夜を、江戸で流行りの百物語で明かすことになったのだが……。
闇に葬られる事件の決着を金で請け負う御行一味。その裏世界に、百介は足を踏み入れてゆく。
小豆洗い、舞首、柳女――彼らが操るあやかしの姿は、人間の深き業への裁きか、弔いか――。
世の理(ことわり)と、人の情(なさけ)がやるせない、物語の奇術師が放つ、妖怪時代小説、シリーズ第一弾!

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小股潜りの又市、山猫廻しのおぎん、事触れの治平、考物の百介。小悪党一味(百介は違いますが)が妖怪の力を借りて、四方八方を丸く収めて事件を解決する人気シリーズの第1巻です。

京極作品の中だと妖怪シリーズ(京極堂シリーズ)と同じ位有名で、メディアミックス化されているので、知っている方もいるかと思います。

DVD化しました。“京極夏彦 怪”で検索すると見つけられます。


「京極夏彦 怪 七人みさき」

他、アニメ化・漫画化等されています。

映画化こそされていませんが、作品世界のリンクした『嗤う伊右衛門』(京極夏彦・角川文庫)は映画化しています。

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京極作品に共通して言えるのが、言葉に含まれる力の使い方が上手いという所では無いかと思います。

デビュー作、『姑獲鳥の夏』(京極夏彦/講談社文庫)の主人公・京極堂は本屋兼神主兼拝み屋です。

人から憑き物落としをする際、その人に合った適切な言葉を使います。

この『巷説百物語』の又市も、正にそんな感じです。

口八丁手八丁、舌先三寸二枚舌。口先だけで世を渡る弥勒三千の小股潜りです。

このシリーズを読んでいると、私も言葉の力を強く感じます。

きっと又市が平成の現代に生きていたら、弁護士とか政治家になれたと思います(笑)

良くもまぁこんなに…と呆れる程に又市は口が達者です。

日本語に酔いたい方は是非、読んで頂きたいものです。

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小悪党一味は事件解決の為、それぞれに役を割り振ります。

あやかしの役を引き受けたり、裏方をしたり、表舞台に立ったりします。
その為、彼等は如何にも初対面であるかの様な話し方をしたり、役になりきる事が多いです。

そんな彼等が舞台を降りてオフレコで会話している場面を見るのが心臓に悪くて仕方ありません(笑)

又市とおぎんとか、又市と治平の喧嘩友達的な小競り合いに萌えます。

仲が良いから言える皮肉の応酬をしていて、そんなキャラクター同士を見ていると動悸がして背筋がゾクゾクします。

やっぱり京極キャラクターが好き過ぎる!

単に貶し合っているだけでは無く、やっぱり言葉の力を借りて事件を解決している一味なので、特に又市は自分の言葉が発する力の強さを良く解っているみたいです。

言葉の力、そして妖怪の力を借りて、四方八方丸く収めてもそこはかと無く残るやるせなさ、切なさが大好きです。

楽しい会話、そしてある意味ミステリー的な展開にゾクゾクしながら読んで、最後はどこかやるせなく、切ない読後感です。

短編集なので、普通の京極本を読むより遙かに読み易いかと思います。

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ちょっとだけ腐的妄想。苦手な方はリターンして下さい。

又市×百介イイネ!

巻き込まれて小悪党一味に参加、結果的に上手く順応して行く百介はかなり又市の手の上で踊らされていると思います。

最後の物語、『帷子辻』では又市が昔の話を告白して、珍しく落ち込む小股潜りに庇護欲煽られまくりでした…。

又市と百介のあの辺りの会話は、何回読んでも百介の背中どつきたいです…又市慰めてやれよ、と。





「悲しいやねえ、人ってェのはさあ」