3.11の

今日は憂鬱が強いと思った。天気が悪い日が続き、同時にずっと体調も悪いから憂鬱が強くても仕方がないと思った。Twitterのタイムラインは今日も男と女が戦っているし、オスカーで人種差別がというのでアジア人と欧米人も戦っている。それも憂鬱。気が滅入る話題しかないので、憂鬱が強くても仕方がないと思った。

でも、体調不良でも、天気が悪いんでも、Twitterで見る争いでもない原因があった。テレビでも数日前から取り上げていた東北大震災の。今日は3月11日か、と思った。毎年脳裏にチラつく。
津波の映像があって、毎日ずっと地震の話で、楽しい仲間がぽぽぽぽーんしてて、不謹慎厨が湧いたり、自分の無力さを呪ったり、その呪いすらも自己満じゃないかと自分を蔑んだり。東京に修学旅行に行っていた妹と連絡が取れなくなって、仙台出身の大学の同期の子が、教室から出て行ったりして。

毎年思い出しはするが今日は特に、やけになんか色濃く思い出して気分が落ちていた。
6歳になる子供が、Eテレの震災の特番を熱心に見ていた。この子も、その番組に出ている小学生たちも、震災後生まれだ。番組に出ていた小学生の子たちは、震災後生まれだが仙台在住の子。学校の授業で、震災のことを学ばされていた。「学ばされていた」。仕方がないがそう形容するしかない。僕たちも沖縄県民として、小中学生のころは沖縄戦のことを学ばされていた。同じ地域に生まれただけで当事者と言えるのかもわからない中で、当事者意識を持てというような学びを与えられ、「先生が喜びそうな回答」を用意する…………僕らは戦後から何年も離れていたから先生たちも当事者ではなかったのでそれでも良かったかもしれない。仙台の学校の先生たちはきっとまだ当事者だ。震災を知らない小学生たちが、震災を学ばされ、「先生が喜びそうな回答」を提出されるのは、当事者として、教師として、どんな気持ちだろう。もしくは、まだ当事者である大人たちから学ぶ震災を知らない小学生たちの実際の気持ちは、どんなだろう。
少なくとも、沖縄にいる6歳児は、熱心にテレビを見ていた。そして、津波が家に入ってきて家中が浸水して溺れるのが怖いから家の中は怖い、外で暮らしたいと大騒ぎした。何も分かってない。微笑ましい気持ちと、正直、無知への少しの苛立ちがあって、厳しめに考えを改めさせた。無知ながらにも抱いた恐怖心に対する態度じゃなかったと思う。反省している。
当時も今もずっと、あの地から影響のない土地に住んでいて、何をこうもセンチメンタルになることがあるのか。直接被害のあった方々に軽蔑されても仕方ない。

嫌になった。

昔もいまも、あの時の震災は僕の嫌なところを浮き彫りにしてくるようで嫌だ。嫌なのに、勝手に思考に触れてくるからこうやって時々話題に出す。でも本当は話題にしたくない。嫌だから。被災者のひとに、センチメンタルオナニーに震災を使うなと言われても仕方がない。本当に。ごめんなさい。ごめんなさいという気持ちにもなる。昔もいまも。

そして今日みたいな日でも、Twitterで男と女が喧嘩していて、欧米人がアジア人を差別しただとかなんだとかで争っていて、本当に嫌になる。明日はせめて天気が晴れてくれたらいいのに。