これからの僕は、

こんにちは。ぼくです。

前回のブログ記事を読んでいて、また色んなことを考えていました。
やしちというネームで発言することのうえで、発言できなかったことはたくさんあります。ただの僕のこだわりだったのだけど。
前回のブログ記事にも書いたけども、たぶん、此処はもう僕にとって「要らなくなった」ところです。
僕のこだわりで、「棲み分け」というものを気にしていて、Twitterや別のブログはやっているけども、此処に書くべきこと、書けることは、ほんとはもう無いだろうとおもっています。

「やしち」という名前でインターネットに出現するうえで、誰にも言ってなかったけどこだわっていたことがいくつかあります。いくつか捨てたこだわりもあるのですが、捨てたもののことは置いといて、今でもこだわっていることは、
性別の話をしないこと

恋人との生活の話のことをにごすこと
です。

後者は、性別の話をしたくないためだけに避けていたことです。
僕は、自分の性別を意識することが苦手です。一人称はずっと「僕」なんですけど、特に男であるというアピールをしてきたつもりはありません。「僕」という一人称は、「しもべ」という意識を込めて使っていました。たまに平仮名や片仮名で「ぼく/ボク」と書きますが、単に変換がめんどくさいだけです。「しもべ」とは、誰が誰のしもべということなのかというと、「やしち」が今この文章を書いているにんげんのしもべだという意識です。多重人格とかではなく…。「僕=やしち」と、この文章を書いているにんげん「わたし」は同一の人格ですが、「わたし」はキャラクターとしてのやしちを通して、インターネットに浮上しているという感覚です。……変に難しく言っているけど、ハンドルネームを使ってインターネットを使う人の多くは、少なからずそういう認識を持っているはずだと僕はおもっています。僕はその意識がわりかし強いだけです。

「わたし」には、社会活動をするうえで決められている性別があります。その性に納得がいっているわけではないですが、拒否もしていません。「男らしい」「女らしい」というものは社会や文化が決めた枠組みだけど、僕は両方をもっているとおもっています。みんなそうだとおもいます。しかし社会活動をするうえでは、黒か紅か、ハッキリさせなければ困ることが多いです。(少なくとも現代では)。それで仕方なく、どっちなのかということを明言しているだけです。

しかしインターネット上では、そんなしがらみからは解放されたい。「男なのか女なのか」という色眼鏡を通さずに僕という人物を見てほしい。単純に僕の思考だけを見てほしい。「このひとは男だからそう考えるんだな」とか、「いかにも女らしい発想だな」と思われたくない。男だから女だからそう考えたんじゃなくて、僕だからそう考えたんだ、そう行動したんだというのをわかってほしい。そういう気持ちで、僕はやしちという名前を使っているあいだは、「僕」という一人称を使いながらも、「僕は男だからこう思う」「僕は女だからこうした」と書いたことはありません。10年前から。
年齢はたまに(というか結構ポロポロと)書いてますが、年齢をあまりハッキリと書かなかったり、違うのがバレバレだけど10代のふりをしたりするのも、「このひとは学生だから/成人してるからそういう考え」と思われたくないという意識があったからです。
でも年齢には、性別とちがって違和感がないので、特に絶対隠そうという気持ちはありません。

性別もまあ…。「隠そう」「内緒にしよう」とは違うんですが。インターネット社会では、現実社会と違って、性別がどっちであるのかを明確に決める必要がないから明記したくないだけです。

しかし、性別を伏せているために、話したくても話せなかったこともいくつかあります。
もういいかなと思うから書くんですが、おおよそ昨年末に結婚しました。僕が前回の記事で、「普通になれた」と書いたのはそのことです。僕がここで結婚したと書くと、Twitterを見てるかただとたぶん自然に僕の性別がはっきりとわかると思います。それが嫌で、結婚したことも書きたくありませんでした。
でもまあ、そんなに僕自身の性別を気にしているのは僕だけなような気がしてきたし、昔から親しくしてるかたがたは大体察してるうえで大して気にしてないと思うので、もういいかなと思います。
夏ごろにはたぶん、また新しい家族が増えます。配偶者に多めにがんばってもらいながら、ふたりでがんばっているところです。それもまた、前回「普通になれた」と書いたことのひとつです。

10年前にこのブログを書き始めた時は、僕は同性しか好きにならなかったので結婚なんかできないと思っていたし、したくもなかったし、子どもは好きだからできないのは残念に思っていたけど、子どもが作れないことも仕方ないと思っていました。
いつまでもひとりぼっちで此処に変なことを書く変人のままでいるんだろなとなんとなく思っていて、そうなることを期待していた時期もありました。
プロポーズ前は、「普通」になっていきそうな自分に対する抵抗も感じました。だけどプロポーズに至るまでに、僕は、普通の幸せや普通の悩みをすでに恋人によって与えられていて、ここまで来てしまったんだなとおもっています。寂しさはありつつも後悔はなく、そのうえで、もう此処は要らないとおもったりもしています。

子どもが生まれたら…もっともっと普通のおとなになって、自分よりも子どものことばかりにあたまや時間を使うようになって、どんどん「僕=やしち」からも乖離していき、別のハンドルネームで親としての日常や悩みを別の場所で話したりもするようになるのかなと思います。なるのかなというかまあすでにそうなっていたりもして、そういうことは決して、此処では書けないんです。此処は、「やしち」の場所であり、「〇〇ちゃんの親」が何かしらを書くところではない…という意志があるんです。これもやしちのこだわりです。

書けないといいつつ、結婚したとか子どもができるとかをツラツラと書いたのは、これからの僕の言い訳です。此処に何も書かなくなっていくことに対する自分自身への言い訳です。
そして、やっぱり誰かに身の上話を聞いてほしくなって書いてしまうであろう自分自身への最低限の制御です。
此処は、僕のあたまの中の混沌を吐き出すところだった。誰のためでもなく僕のための場所でしかなかった。そういうような場所を、僕自身に荒らされたくはないという気持ちがあります。
またほんの少しだけあたまが悪くなって、混沌をベッと吐き出したくなった時にあるべき場所であってほしいです。いつまでも。いやエムブロサーバーがもつ限り。運営陣には悪いけれどまああまり長くはないのかなとおもっています。ブログという文化が廃れつつある。それ自体が、僕自身の問題とは別のものとしてまたさびしい。僕は…これからの僕は、ブログ時代の化石になるよ…( ˘ ˘ω )