久しぶりにかなり強めの希死念慮におそわれて、もう死のうかなになった。
家族が増えてからは、家族のために生きなければと家族はずいぶん死なない理由をつけるのに便利だった。どんなにかしんどいことがあっても、死ななければ、いつかは穏やかな感情が訪れたり、別の死にたい気持ちがやってきたり、それもまた時が慰めたりするのを繰り返すと経験上そう思う。死にさえしなければどこかには進む。なんとか希死念慮を毎回乗り越えるのは大変だが、家族のことが好きである限り、死なない理由になってよかった。

しかし今回の希死念慮はふと、「子供たちが幼いうちに死んだ方が良いのでは?」と思ってしまってキツい。どうせこの先何十年も僕は何度も希死念慮に襲われると思う。どのタイミングで耐えきれなくなって死ぬかわからない。それなら子供たちの切り替えが早く済むうちに新しい片親を迎えたほうがいいと思った。思春期はもちろん、小学校に上がってからはもう遅い気がした。上の子供は5歳だし、もう今が最後のチャンスでは?と思った。
でもせめて、家を綺麗にしてあげてからにしたいな。僕が死んだあとは伴侶がひとりで大変になるし、家は綺麗にしておきたい。それで最後の日はご馳走をみんなで食べたいなと色々考えた。僕は酷い親だったなと思った。僕は伴侶から見て酷い伴侶だったなと思った。家族にうんと優しくしてあげてから死にたいなと思って、本当にそうしようと思って、つらかった。ご馳走は何がいいだろう。娘がいちばん好きな料理はなんだろう。それもイマイチわからない。娘は食に興味がない。娘がいちばん好きだと思う料理を持てないのはろくに食育をしない僕のせいだと思った。本当に酷い親だったなと思った。
明日、伴侶が仕事でいない間に、僕は仕事を休んで、子供たちを保育園にあずけて、家を全部片付けて綺麗にして、自分のものを全部処分して売ってきて、ご馳走を作ろうかなと思った。仕事を1日休むだけでは全然足りないと思った。じゃあ2日休むか?どうせ死ぬし。でも仕事を休んでまで色々家の片付けや自分のモノの処分を2日に分けてやると、さすがに伴侶にどうしたんだと思われるかな、いや思わないかな、実は伴侶は僕にも家の中にもそんなに興味が無いかもしれないなと思った。
でも、もしも変だなと思われたらどうしようかな。僕は嘘や言い訳が上手ではないし。どうしようかな………………と考えていたら面倒になった。面倒になったけどまだ特に希死念慮が失せたわけではない。どうしようかな……死にたいな