ついた傷が その寂しさが
いつかそうなればいいのにね、




今日、先輩や後輩と集まって
離婚の報告をしました。

いちばんに
我慢が足りんかったんちゃう?
とばっさり言われたり
わたしがショックだったことに対して
それをいい方向に捉えることはできなかったん?
とか言われて
正直びっくりしたけど
そんなこと、わたしの頭にはまるでなかったから
そんな考え方もあるんだなと思えた。

今日、このひとたちと会えて、話せて
よかったなぁと思えました。

その話を踏まえて思えたのは

わたしの場合、この離婚は
お互い様でもあったのかなと。

あーされたこーされたと嘆きすぎるのも
よくないですね。

いいひとだった、
いい結婚生活だった、と
思える方がまだなんか

自分をも否定してるみたいだったから
晴れやかかもしれないなと

そう思えました。


そのあと違った話題のなかで
頑張りすぎなんちゃう?って言われたり
あーしたらこーしたらと
いろいろ助言もらえたとき
ふいに涙がぶわっとあふれてきました。

こんな会で泣くとか恥ずかしくて
ほんと泣きむしな自分をうらんだけど
泣くってことは図星だったんかな。

そんなにわたしがんばりすぎてるんかな。

いつも自分のやれる範囲で
がんばっているつもりですが

こえそうになったらはっきり言ったり
それでもだめだったら逃げたり
リタイアもするようにしてますが

がんばりすぎ、、
がんばりすぎってなんだろうか、
どこからが?と
めっちゃ考えました。笑

みんなはそれが自分でちゃんとわかって
行動できるほど、そんな器用なん?

しんどいのは嫌だから
潰れてしまうから
そうなる前に気づいて
動いているつもりなんだけど
できてないのかな、難しいな。

それがわかったら
もっと生きやすいのかなぁ、と
もやもや考えてしまいました。

そんなこんなで
なんとも意味のあった会でした*





なんでもそうだねってうなづいてくれるひと
でもさぁって言ってくれるひと
いろんなひとがいてそのなかで
自分を確立していくわけで

甘やかしみたいな世界で生きていたら
どんどんわがままになるし
そんなの嫌だから
尊敬している大人のひとの話は
時にとてもありがたいです。

女子会ってものが大の苦手なわたしが
このひとたちと話せるのは
ユーモアと優しさと可愛げにあふれた
人間だからだと思います。

それからわたしも真面目に生きようって思えました。

みんな真面目に真っ当に生きてる。

泣いたりもしたけど
だいたい爆笑して楽しかったです。

今度会った時に
またなにかしらの成長とか気づきが
あればいいな。



もやもやするのは
こんなわたしにもちゃんと
意思があるからなんですかね。

どんな、なんていう意思かはわからないけど
一応自分というものがあるのかな。





泣いても笑っても
わたしはわたしらしく
楽しく生きてこうって思います。

不器用が治らなくても
それがわたしだよなと
受け入れたりもして生きていこう。

いつも自分を甘やかすのは
いいことじゃないけど

受け入れると甘やかすの違いは
なんとなくわかります。

ほかのことはほんと何にもわかってないけど。




知らないうちにだれかを
傷つけたりしていませんように。

知らないうちにだれかに
安心を渡せていますように。