フライパンにこびりついたときみたいに、みずを注いで放っておけば忘れた頃にふやけて柔らかくなって簡単に落とせるような、そんなものにわたしはなりたい。
たいせつなのは後半。
別にフライパンにこびりつきたいわけではない。
それならば、今は技術がすすんでいるのだから、こげつかない加工の施されたそれをもてばいいのだけれど、わたしはやっぱりおこげが好きだから、食べたくなってしまうから、みずからそれを創ってしまう。
フライパンもフライパンで、(こがさないでね)とか、(あぶらを忘れずにね)とか、言ってくれたらいいのに、たのしいことや昨日のことしか言ってはくれないから、わたしはやっぱりおこげを創ってしまう。
みずを注ぎたいのだけれどあめが降らなくて、注いで欲しいのだけれど注ぐためのコップは誰の仕業か穴だらけ。
フライパンは増えていく一方だから、わたしはぜんぶまとめて一気に捨ててしまいたいのだけれど、ぜんぶが入るほどの大きな入れ物もなければ、それを捨てる場所も見当たらないから、仕方なくもちつづける。
もし手元からフライパンがなくなったとしても、それはきっといなくてはやっていけないものだから、わたしはきっと新しいものをまた手元に増やしていってしまう。取り戻しに引き返してもしまうかもしれない。
だから、仕方がないからもちつづける。いつまでも。
そうするしかないようなの。