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中野までピープルインザボックスを聴きに行ってきました。
そういう時期がきてしまっているんだなあと切に感じています。
先のことを考えるにあたって伴う過ぎたことへの後悔が、先に立たないと思いつつもやっぱり後を絶たず、手が進まない。
何もしたくないけれどもうそういうわけにはいかなくなってきていて、とりあえず枝毛を探すという一番無益な行為に収束する日々です。
髪を短く切ってしまうことも何度も考えたけど、その気力も勇気もなくずるずると。
いつまでこんなことを続けるのでしょうかと考える内は、まだまだ抜け出すことは出来ないんだろうなあとまた例のごとくおもいました。
っていうとちょっとあほっぽくて
飛び交う解釈が野暮だヤボダといって厭い、ほとんどをなんとなく感じるだけ、なんとなく消費するだけ。
それが完全に悪いとは思わないけど、自分のそれはただ、考えることを最初から放棄しているだけ。
自信が無いからにせよ、歩み寄ろうともしないとも取れるその態度は如何なものか、造り手に対する冒涜的行為なのではないか、とも思う。
それでいて真相や誰かの解釈を見たり訊いたりしてしまうことの方が、よっぽど野暮だといえるのかもしれない。
評論の文を読んで疲れたり憂鬱な気分になるのはこの為なのかもしれないと、音楽雑誌を読みながら考えた。
それでもどこかで全てにおいて傍観者でいたいと思う自分はだからいろいろなものを破綻させてしまうのかもしれない。とまた他人事みたいに考えている。