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むこうがわ

中野までピープルインザボックスを聴きに行ってきました。
とてもよかった。
今はその帰りです。





5月は半ばから、夏に免許合宿へ行こうと目論んでいた矢先突然インターン行きを決め履歴書的なものに振り回され授業発表の準備がありかんじけんていの勉強を細々と行い合間にバイトもしつつその他諸々、、、
大したことはないのだけど、自分にしてはばたばた慌ただしくしていました。

去年は丁度この時期にバイトをやめてしまってのうのうと、過ごしていたのが嘘みたい。

そういうこともここ一週間は大分呑み込むことが出来て、比較的調子が良かったので来週が怖い。



大したことはない、というのも、例えばお風呂に入る前の時間みたいに、気を揉んでいたりすることのなかには少なからず実はそうでもなかったということがあるから、特に私は多いから、何でも大したことはないと思おうという最近のブームでした。

続くかはわからない。





お酒を呑みながらゆっくり歩いて帰ろうと思ったけど、空きっ腹だから迷う。

さよならモラトリアム

そういう時期がきてしまっているんだなあと切に感じています。


ここで動かなかったら、一生この種の煩悶は亡くならないかもしれない、やっぱり減らせるだけ減らしたい。こういう考えに至ったわけですがしかし、自己PR文(長所)がどうしても書けません。


まともに全て正直に書こうとしたらトリップしそうになったので、嘘とも取れるようなことを適宜散りばめることにしました。きっとこれくらいじゃないと。これくらいは肝を据えていないとだめだ。

落差

先のことを考えるにあたって伴う過ぎたことへの後悔が、先に立たないと思いつつもやっぱり後を絶たず、手が進まない。
何もしたくないけれどもうそういうわけにはいかなくなってきていて、とりあえず枝毛を探すという一番無益な行為に収束する日々です。
髪を短く切ってしまうことも何度も考えたけど、その気力も勇気もなくずるずると。
いつまでこんなことを続けるのでしょうかと考える内は、まだまだ抜け出すことは出来ないんだろうなあとまた例のごとくおもいました。

とんずら

っていうとちょっとあほっぽくて
あ、それなら仕方ないか
ってなりそう。


ならないか。

パレードを眺める人

飛び交う解釈が野暮だヤボダといって厭い、ほとんどをなんとなく感じるだけ、なんとなく消費するだけ。
それが完全に悪いとは思わないけど、自分のそれはただ、考えることを最初から放棄しているだけ。
自信が無いからにせよ、歩み寄ろうともしないとも取れるその態度は如何なものか、造り手に対する冒涜的行為なのではないか、とも思う。
それでいて真相や誰かの解釈を見たり訊いたりしてしまうことの方が、よっぽど野暮だといえるのかもしれない。
評論の文を読んで疲れたり憂鬱な気分になるのはこの為なのかもしれないと、音楽雑誌を読みながら考えた。


それでもどこかで全てにおいて傍観者でいたいと思う自分はだからいろいろなものを破綻させてしまうのかもしれない。とまた他人事みたいに考えている。

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