◆挨拶が苦手だ。
多分。
社会的場面での挨拶はできる。
(というかしたい。しないと気持ちが悪いし、ひやひやする。
でもタイミングがわからないとできない。そういうときはそわそわしている。)
それ以外の、家でのおはよういってきますの類とか、
この時期のあれとか。
そういうのができない。
後者は、ラインのグループで飛び交うそれを、今年は頑張ったけど。
難しいことを考えずに、発してしまえばいいのに。と思う。
◆あとこの時期のテレビはいつも以上にみることができない。
このはなしはつかれるからやめよう。
◆さっきから思考ばかりが先走って、全然手が動いてくれない。
それを見越してPCにしたのに。
そういうわけでいま髪をまとめた。
どうでもいいついでに、一昨日窓掃除と部屋のあらゆるところの拭き掃除をしてみたら筋肉痛になった。
もう埃が目に入って、更にどっと疲れた。いま。
◆納会を早退した。
仮病ではなかった。
なかったから、精神的なものではなかったみたいだった。
そこまでではないらしい。
仕事と言えば今月から通勤時間が3倍くらいになる。
とても億劫だけど、そのおかげでなにかが表面上に出てくれたり、
どうにかなったりしないかなと少し期待を抱いている。
でも経験上、多分何事もなく終わる事はなんとなくわかっている。
案外というかなんというか、割と身体はタフだったりする。
◆希死念慮にどう対処したらいいのかがわからない。
とはいってもそんなに大したものではない。
いろいろ読みあさっていると、大したことないと思う。
ただ同じようなことを考えている人がどれだけいて、どうやって過ごしているのかが気になる。
インターネットで探せば同じようなひとはたくさんいる。
でも、いるけどいない。
きっと周りにはあまりいない。
好きな音楽を好きな人が、インターネットの世界ではたくさんいるのに、
ライブにいっても確かに人はいるのに、周りには誰もいないのと変わらず。
その人たちと話すことはできない。
◆それから、同じでも同じじゃない。
考え方が似ていると感じていた知らない人のブログを読んでいて、
ちょっと違うかなと思ってしまったときや、克服されたという報告があったとき、
あたりまえだし、喜ばしいことではあるはずなのにまた少し寂しくなる。
好きな音楽を作る人たちが少し趣向を変えたり、
その人たちの生活が垣間見えたりした時のあれに似ている。
やっぱり遠かった。と思うあの感じ。
◆「なぜ嫌な事があっても普通に生きているのか」というような問があった。
高校に入りたての時の社会の授業で。
それに対する他の人の回答や、出題した先生の回答を、知ることができなかったからずっと気になっている。
(自分は確か、しねないからというようなことを書いたけれど、現在とは少しニュアンスが違ったと思う。)
大学時代に倫理学を専攻していたその高校の世界史の先生に当時ひそかに執着していて、今でもしばしばおもいだすのは多分これのせいだと思う。
◆本当はこれらのことを上手いことつなげてそれらしい文章にしかたったのだけど、
その気力がなかった。
タイトルしりとりも最近は難しい。
表現者には、創造する側には、やっぱり向いていないかなという言葉で逃げている。