目にしたくないものからは目を背け、耳に入れたくないものには耳を貸さない。
できるだけそうしてきたら、
目にしたいものは見ることができないし、
言いたいことも言えなくなってしまったことに気が付いた。
面白かった作品の話とか、最近見つけた音楽の話とかもそうだけれど、
目覚ましの前に起きられた話とか、
お昼に食べたほうれん草のスープがおいしかった話とか、
仕事やゲームの調子とか運がいつもより少し良かった話とか、
一回も信号に捕まらなかった話とか、
そういう後日になって取り立てて話すことでもないようなその日その日の出来事を、
自分の内に溜めこんで誰に伝えるでもなく濁していくことしかできないのが
きっと空しいのだと思う。
自覚してしまうと、その認識がずっと濃くなる。なりつづける。
だけどひとと関わっていると嫌な自分ばかりが見えてしまう。
それがいやで(それ以前にただうまくできなかったというのもあるけれど。)
いろいろなひとを断ち切って来たのに、今更どうにか取り戻せたとしても
そんなのはわがまますぎる。
社会に出ればここから出られると思ったけどそんなことはなかったし、
この業界に入ればもっと自分を追い込めると思ったけどそんなこともなかった。
つまりちゃんと向き合えるようになったとしても、そこへはいけないのだと思う。
良かったことや楽しいことを書き残したいのにこういうことばかりになってしまうし、
ペンダコもやけどのあとも、煩わしい喘息もどきだってなくなったらさびしい。
こういう性質だから、いってはいけないのだと思う。
だから、早く慣れないといけない。
目にしたくないものからは目を背け、耳に入れたくないものには耳を貸さないで。
でも、どこまでそうやっていけるだろうな。