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それなりに忙しくしていれば何もおかしなことを考えることはないだろうというのはやっぱり、願望でしかなかった。
たのしいとき、がんばっているとき、それとなくうまくいっているとき、そういう自分に、或はそうなるかもしれない未来の自分に対して、腹が立つというかなんというか、嫌悪感を抱く。かといって感傷に浸ったり鬱屈とした生活を送ったりしている自分に嫌悪感がないはずもなく、どの道穏やかな日常なんてない。それを如何に紛らわすかというところに分岐点があるように思う。
相変わらず言葉が足りない。
自分の中にあるふわふわもやもやしたものを上手く言葉に当てはめることは難しい。ただ単に語彙が貧相なこともあるけれども、きっとそれだけではなくて、100%ぴったりというのはそうそうない。少なくとも自分は。そう無理に形にしなくてもいいじゃないかと思わないでもないけども、無理にでも見繕わないと紛れないこともある。どうしたってもう、言葉からは逃れられないし、頼る他ない。
自分自身が確かにそれはそうだと共感したうえでのものではあるものの、独自性に欠けすぎている。がしかし、案の定、改善の見通しは立っていない。
深夜は深夜という言い訳が出来て便利だなあ。
極稀に過去の受信メールや送信メールを見返すときがある。そうするとずっと気にかけていたことも案外大したことなかったと思ったり、反対に忘れていたことを思い出して消えたくなったり、これは自分ではないという気がしてきたり、暇人だと思ったりする。
かなわないことは
今日は寒くないのでゆたんぽは非番です。
嘘を吐くと、吐いても、全部見透かされている気がして全部さよならにしたくなるけれども、おばけはこわい。