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鵜呑みの明日

ひとつまえの、画像添付ができていなかった。

多元的宇宙

3ヶ月前の午後7時はこんなに明るかったみたいで、最近の気温といい、確実に夏が終わったことを実感して、仕事終わりに建物から出てきた時、ひとりにやけた。

だけどそうなるとこの時期の服、特に上着が無いので困る。
ぼやぼやしていたらあっという間に冬だ。

大した事ではなかった


なんだかわからないけどうごけない。
そういうことがある。
よくある。

なんだかわからないけど、といいつつ、
正体がほとんどわかってくるときのほうが多いか。

でも今回は本当にわからなくて、金曜に帰ってから今に至るまで、ほとんど寝ることに費やしてしまった。

仮病を使ってまで。

これは悪循環だから良くないと知っていつつ、だから最近土日に家にいる時間を減らしてきたというにも関わらず、やってしまった。

きっと大した事ではなかった。



努力家だと評されることが多い。
親、先生、姉、友達、上司。

本心じゃなくて、褒めて伸ばそうとしているのかもしれないし、自信のなさが透けて言ってくれているのかもしれないし、かける言葉がなくて言っているだけかもしれない。
でもここまで周りが口を揃えて言うと、本当にそうなのかもしれない。
そう、映っているのかもしれない。

自分は本当は努力家なんかではなくて、努力するフリが上手いだけだ。
それは計算だ。
いい子にしていれば、後で甘やかしてもらえるかも。という。
全部が全部そうではなかったけれど、そういう考えが多少はあった。

現に今日だって、先週に“頑張っている評価”をもらったから仮病という甘えた手を使うに至ったところはなきにしもあらず。
確かに寝過ぎて頭痛はあるけど、このくらいで仕事を休んでいいわけがないし、いつもなら行くし、頑張れば行けた。

こうやって悪循環がうまれるから、尚更行かなくてはいけなかったのに。




少し前から、
もしかしたら自分は潔癖すぎるのかもとか、こうあるべき自分像が崇高すぎるのかもとか、思い立って、別にこのまま多少ずるくてもいいかとか、適当にするくらいでいいかとか、ある程度今まで通りでもそれが悪い事みたいに思わないようにしよう、そういうつもりで気楽にやろうと思ったのに、その結果がこれなら、もう八方塞りというかどうしようもないな。と思ったけど、これはまだ思考改革が出来ていない証拠か。

というのを繰り返している。


がんばって外に出たところで、そこで少し楽になったところで結局、楽になってはいけないと、浮かれるなと、ここに帰ってくる。

一体このひとは何をしたいんだろう。
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