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ほう

拍手ありがとうございます。








昨日の寝る前、長めの本文を打ち終わってさあ後はタイトルだけというところまできて、考えているうちに寝てしまって、起きたら全部消えていた。今考えるとしょうもない文章だった気がするから消えて良かったかもしれないけれど、すこしかなしい。ここ数日続いた。



theキャブスの新譜を買った。
良い。
空前のくりーぷはいぷブームが到来していたはずなのだけど、一気にもってかれた。来週はきのこていこくの新譜を買うつもりです楽しみ。



昨日久しぶりにまるちゃんとさざえさんを見たけど、ぶれないおもしろさ。すてき。思わず無意識的に前髪を切った。切りすぎた。



試験はあと明後日のひとつだけ。それで一年が終わる。穏やかではない。

へい

ばたばた

めんどくさいのオンパレード

それはほんとうかい?

10センチメートルの救世主

ポストロックとやらの作業用BGMを最近よく聴いています。が、ジャンル分けというものはよくわからんです。



返却期限が明日に迫った映画が三本もあります。まだ一本も見ていません。試験勉強もしたいです。衝動だけで借りるものではないですね。

雪で今日バイト休みになるかもしれないから、そうしたら見ようかとも思ったけれど休みにならなかったときの落胆具合が倍になることを考えて却下。300円はこうして消え逝くのであった。

それでものたまうのだ

出来るだけ人と関わりたくないと思いがちだけれども、今までの経験、とくに今年度の夏休みやついこの間までの冬休みでわかったことは残念ながら、くしくも、その考えを否定しなくてはいけないということだった。

息詰まる行き詰まったバイト先と家の人が登場人物の主で8割くらいを占め、たまにその他の人と会う。
(そう言えばこの間高校の友達数人と集まった。当たり前だけれど、みんな別世界の人みたいだった。全く貶しているわけではなくて、こんな人たちに三年間毎日会っていたんだと思った。申し訳なかった。これで私はもう行く行かないで迷わなくてすむだろうと思う。いつも通り私は逃げるように先に帰った。私はどう映っていたんだろう。やっぱり変わっていないのかな。)
その2割くらいは私にとって良くも悪くも多大な影響を及ぼしてしまうし、8のほうにいるときは本当にあれだけになる。あれはあれだ。

そこに好きでもない、大学に行く、ということが加わると何故かあれを忘れられるときがある。なくなるわけではないけれど。それなりに忙しくさせてもらえるからだろうか。どうしたって多くの人に会わなければいけないからのような気もする。楽しいわけではなくても、それがだれであっても。

それでも人と関わるとやっぱり面倒なことばかりと思ってしまう。自分も含め。

どっちにしろ私のあれな願望は変わらないけれど、どっちにしろ申し訳ないと思うから、バイト先でも家でもどこでも自分に板挟みにされている。


囲っていて

なんだかんだ言って、私は好き嫌いが激しくなってきているのです。
音楽はもちろん、別に食べられないというわけではないけれど食べ物に関しても、味付けや後味やあぶらに敏感、例えばキャベツの千切りは絶対に水にしばらく浸けたい。それから自分を含め人、の言動特に言葉遣い。服。色。匂い。
嫌いなものへの嫌悪感。好く自分への嫌悪感。呆れ果てます。一体私は何様なんでしょうか。そうしてどんどん面倒なことが増えて、面倒な人になってゆくのです。と同時に、身近に思っていた人たちがどんどん遠くなってゆくのです。


あ、今5時55分を経過した。小学生のとき通っていたそろばん教室で、よく夕方5時55分55秒の瞬間に拍手してたな。なつかしいな。今は朝だけれど。


どうでもいけれど、私は使わないけれど、僕という一人称が好きです。
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