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うつしおみ

そんなわけで引っ越しをした。

いざ本気で動き出してみれば、そう大したことではなかった。(姉の助力は大きかったけれど)
家のこと、親のことも、自分自身のことも、結構大丈夫だった。

わかってはいるつもりではいるけれど、それでもやっぱり、取り越し苦労というのか、考えすぎるきらいがあることをもっと頭に入れておく必要があるみたいだ。


生活が出来るくらいには物も揃ってきて、つまりは新しい環境に慣れてきた。
建て付けが若干悪い諸々について、静かな蛇口の締め方や扉の閉め方を会得したり、
ゴミ出しの日や洗濯をする日を軸にした日々のルーティンが確立したり、
道を覚えて、最初はおっかなびっくりだった夜道も無意識に歩けるようになったりしている。




荷物を運び出すのに使ったキャリーバッグを戻すために、実家に帰ってきたのは昨日。

相変わらず掃除を始めると長引いてしまって家を出るのが遅くなったのにも関わらず、カラオケに行く折角のチャンスを不意にはできなかった。
そうして実家に着くのが夜になって、夜ご飯は食べていきたいし、録画しておいてもらった夏目の映画も観ていきたいので、泊まることにした。

今日は朝から暑くて外に出る気が起きないので帰れず、これは実家から書いている。


まだ引っ越して半年と経っていないから当然と言えば当然だけれど、ここで寝泊まりすることに全く違和感が無い。
違和感が無いことに安心する。
姉や父はここから引っ越したい、そうすべきだと思っているようだけれど、私は帰る場所が無くなるみたいで寂しいから嫌だ。

かつての自分の部屋はやっぱり落ち着く。
長くここに引き篭っていただけのことはある。
そしてこんなにも日当たりが良く明るかったこと、その有り難さを痛感している。
次に引っ越すなら、視界が開けて、大きく空が見えるところが良い。気が早い。



ひとり暮らしをしてみて感じるのは、少し大袈裟に言うと、生きているということだ。
自分で、自分のために、生活をしている。
そういう意味でも、今までは死んでいた。

何でも自分でやらなければいけないというのは大変ではある一方、言わずもがな糧になる。
生活力は着実に身に付いてきている。

それから家族への罪悪感が無い。
共同生活ということで気を遣う必要も無いし、苛立つこともない。(これは自分の中の許容が小さくなりそうなので、危惧すべきことでもあると思う。)

家族にどう勘繰られるかを気にして行動を制限する必要も無い。
例えば思いつきで化粧や化粧品を変えてみたり、髪型を変えてみたりするのだって、ハードルが下がったように感じる。

そうして視野が、世界が広がる。
成程。これが自立かと思ってみたりする。

こんなことならもっと早く始めるべきだったと思うけれど、今までのことがあったからこその、今なんだとも思う。



そろそろ帰らないと。
今日は洗濯の日だ。
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