怒りに震えて泣いたことなどそうそうなかった。
オバマ大統領の広島訪問が現実味を帯びてきている中で、米国報道官が記者から「この訪問は謝罪と受け捉えられるのでは?」といった主旨の質問が投げかけられた時、報道官は、呆れたようなまるでおいおい何を言っているんだとも言いたげな表情でそのようなことはないと否定した。
純粋な怒りしかなかった。
かの国において、いまだ原爆投下は戦争を長期間させることのないようにとられた措置であり、正当化されていることも当然知っている。
けれども。
けれども、
あんまりじゃないか。
原爆によって命を落とした方、今尚後遺症に苦しむ方々、苦しんで、苦しんで亡くなっていった方々が、これを見てどう思うのか。
惨たらしく死ぬしかなかった彼らに。
あまりにも、あまりにも身勝手だ。
これが戦争なのだと、そう頭では思いつつ、しかし内腑で業火が治ることはないのだろう。
鎮火することはもうないのだろう。
謝罪のない鎮魂が、あり得るわけがない。
ブログを拝見させて頂きました。
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失礼致しました。