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標準装備

友達を引き止め、グダグダ言ってました。
恥ずかしい話ですが、随分前から悩みがあって、それをどうしても私には解決策が思い付かず、相談。

前から周りに言われるのが、私は納得するまでそれを許さない傾向があるということ。
拒否し続けます。
否定し続けます。
兎に角
「ちが〜う!!!!」
と言い続けるのです。
凄く頑固と言われる由縁ですな。
逆に納得すると、コロッと趣旨替えするのも私。
「なるほど、納得!」
そう言ったら、もう面白い程に急展開。

そんな私には標準装備されてないものがあります。
エアバック。
深呼吸。
これを身につけろと助言いただきました。
猪突猛進な私には、これが標準装備されてないわけです。
あと、昔は装備していた『力を流す』と言う物も今はない。
全部アタックです。
力押しです。
しかも命懸け。
負けるのは嫌ですが、負けず嫌いではありません。
どっちかと言えば負け犬タイプですし。
まあ、腑抜けとか腰抜けとか言われたら嫌だけど、それでも譲る気持ちがないわけではない。
でもわたくし、他の人より逆鱗の数が多い。
あと、筋を通さないのも嫌い。
だから、それが出来ないのが私。

「それがみあじゃない」
そう言われた。
その時に気付いたのは、前にも同じ感覚になったということ。
私は私を認められないことが苦痛なんだな、と。
根本的なそれを否定され、それではいけないと言われることが苦痛なんだ。
………ふむ、私はそのままで言いと思う。
何の問題もないし、それに対するデメリットを被る覚悟がある。
それは以前と変わらない。
では何故そういうお言葉を頂いたか。
その悩みの種となる一言を受けたのか。
一応私はその助言に対し頑張ってはみたが、やっぱり違うと思い直した。
それを踏まえ考えてみると、その人が不満なのではなかろうか?
なるほど、納得。

その時は色々変えなきゃいけないと思っていた時期ではありました。
だからよけいにそれが正しいと思ったのも事実。
直そうとしたはいいが、自分を見失ってしまったのが結果。
困ったね。

一応、昔持ち合わせていた『流す』力を取り戻したいと思ってます。
ついでにエアバックを装備したいところだ。
これは難しいかもしれないけど、やってみたい。
とりあえずやってから結論をつける。
だってやっぱり納得出来たから。
半分無理な気がしないでもないが、悩みの種がこれ以上開花しないようにしないとね。

自分の意見をはっきりと持つ人だ。
そう言われました。
自分というものを見失い、自分がなくなってる私に対して、その人は「自分の意見がある人」と言ってくれました。
私はよっぽどその人の方が意見ある人だと思うのですが、どうも違うみたいです。
多分逆なんだと思います。
普段はきちんと意見を言える人ですが、大事な部分で黙る人なんだと思う。
だから自己判断の中でそうなるのだと思う。
私は逆に、ここぞというときに、相手が誰でも引きません。
それを知ってるからそう言われるのかもしれない。
………どちらもメリットデメリットありますよね〜。
その人はクールなイメージなのですが、クールと言うのは『冷静』であると同時に『冷酷』というイメージもあります。
冷静な判断で物事をしっかりと確実に見つめながら、けれども冷酷な言葉が口からこぼれるのは仕方ないこと。
けれど、その人は相手を思っての言葉だと私は感じます。
私はパッションだと思われます。
『情熱』『暑苦しい』
『情熱的』に相手を思いながら、時として『暑苦しい』『しつこい』『ウザイ』と感じさせます。
ところが私には裏があり、人をいきなり見捨てる癖があります。
そうなるととことん冷酷。
そこにはその人のような『相手を思いやる』気持ちは一切ありません。
だからこそ私は長い付き合いの友達には「冷酷だよね」と言われることがあるのです。
どのような場合にそうなるか。
まず、相手が裏切れば間違いなくそうなります。
「裏切り者には死を」
なんて言葉がありますが、地でいく感じ。
今まで「そんなやつにまだ親切にしてるなんて、本当にいいひとだよねw」なんてからかわれていた私の様変わりを、その言葉を発していた人間が「………もう少し優しくしてやれば?」なんて言うほど。
何度裏切られても手を差し伸べる。
『一般常識』の中の裏切りは。
けれど、一度でも私の中の逆鱗に触れ、それを裏切れば―――…最後です。
それが、ウザイと思わせる情熱を燃やす基礎です。
裏切らない限り守るけど、裏切ったら敵だ。
正に敵かどうかで全て判断www
敵は容赦しない。
それこそ本当に。
でもこれも仕方ないこと。
要は、メリットデメリットは必ず表裏一体だというお話。

私の生まれた星座は、情熱と冷静を混ぜた人間とよく診断されます。
「そうかしら〜?」と自分では思うのです。
どっちかといえば、白か黒かではっきりしてそうだし、赤か青かでもはっきりしてそう。
凄く極端だから。
だから最近の私が不得手な『引く』も、恐らくそのパターンになればとことん引きます。
相手が引きずりだしたくても逃げ出すから出来ないような、そんな勢いで引きます。
だから「理解出来ない」と言われたんだろうな、なんてことも経験してます。
代わりに押し付けるのは依然と変わらず得意です。
押し続けます。
相手に失礼だから出来る限り止めてますがね。
でもそれもちょっと今はストップ。
相手に失礼だから押さないと言うのは少し間違ってるから。
確かに決めつけた意見を押しつけるのは失礼ですが、押しつけられたと思わなきゃ押し付けではないからです。
逆に意見を聞きたい人に「それは自分で考えることだ」と言ったら「まあ、ひどい」なんて言うのが人だし。
言えば文句、言わなきゃ文句。
これが人。
どっちも言われたことがあります。
でも「じゃあ私に話しかけるな!!」では短絡的でしょ?
なので、自分らしくいけばいいかな〜…なんて。
結局それを受け入れられない相手というのは、それまでの仲なんでしょう。
それがその人当人の負担になってるなら私も否定します。
でも当人のその「らしさ」はどうにもならない時もある。
それが嫌ならお別れは仕方ないこと。
それはナルシストに「キモイから止めろ」っつったって止めないのと同じ。
享受するか、拒否するか。
ここが変わり目。
所詮他人は変えようがないし、自分自身でも根本は変えようがない。

………見失ったんだろうな。
視野を広くするためにすることは唯一つ。
離れること。
近すぎて見えないなら、離れるしかない。
一人暮らしを始めた子供が、親の有り難みを知るように、ね。
その有り難みを感じられるように、大きな視野で物を見なければ、また感謝の心が消えてしまうから。
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