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苦しみの先

悪いところばかり見ていた。
それが嫌でうんざりした。
だから止めて良いところばかり見ていた。
でも騙されたからそれを自然に出来なくなった。
本当に大切なのは、信じること、そして真実を見つめる勇気を手放さないこと。
自分信じること。
時としてそれを他者が不愉快に思うことがある。
けれどそれは仕方ないこと。
だってその人にもその人の思いや考えが在る。
だから戦う。
私はその戦いを止めない。
その戦いをしないで済むなら良かった。
ずっと我慢していた。
でも何を言っても分かってもらえなかった。
仕方ないことなのだ。
どうしようもないことなのだ。
だから私はそれを諦める。
最後の決断をした。
もう、振り返らない。
自分で決めて、自分で行う。
それは悲しいことではなく、至極正しいことなのだ。

どうして大好きだった人と戦うことになるのかな……。
切ないな。
でも悪いところばかり見たって、やっぱり何も良いことないし、少しでも良いところ見つけたいもんだよね。
でも価値観だけは違うよなぁ。
あと自覚。
自覚って難しい。
私もよく無自覚にやらかしてることしてるし。
良かれと思った言葉も悪意に受け取られることもあるしね。
逆に嫌ってるのに好かれたりさ〜。
大嫌いとかではないんだけど、ソリが合わないなと思う人に好かれると結構辛い。
………どうしてそうなるかって?
私の接客の仕方でなるらしいぜw
変な人はみあの常連客が多い。
そういわれたときのショックは忘れられないwww
私の接客ってどんだけ変な人を大人しくさせるのよぉぉ!!
嫌だよ、嫌だ!!!!
私も普通の人がいい!
変な人の扱いって、別に楽じゃないから!!
結構辛いから!!!!
はにゃ〜……。

人間て難しい。
理論詰めされても、情だけで話されても、何か違うしね。
理論だけだったら一番正しいのは『人間じゃないもの』にならなければならないし、情だけなら『秩序』がない。
元々思ってるのが、好きなものを相手にも好きにさせたくても、それを拒否されたらきちんと受け止められなきゃ駄目なんだよ。
私それを地でやるタイプでさ、今でもたまにやってるんじゃないかと不安になる。
注意はしてるけど、クセというよりはもう性格だな。
まりもんに種はいいからハマれってvVと言い続けてるしなw
しかしあちらは「みあに種見ろと言われてるのに、ハマったのはデジモンでしたw」と返してくるしwww
どんなマジックwww
そんな風に流せる人もいるし、私を意固地にさせるようにしかものが言えない人もいる。
私も頑固だから、そんな風に言われると必ず頑として譲らない。
悪いところなんだよね、これ。
でも短所ってことは長所でもあるわけで。
気付けば流せるよう努力するが、どうもカッとして「私の言ってることは正しい」となるのよね…。
勿論「そうなの。じゃああなたの言うことはあなたにとって正しいのね。でも私はこう思うからこれでいいや」と言われちゃうと「そうなんだ」で終わっちゃうんだけどね。
私にはなかなかそれが出来なくて、誰にでもそうなるわけではないんだけど、たまに禁句を言われたりするともう見事なくらい分からず屋になってしまいます。
私には「あんたがそう思っても世間は思わない」は禁句です。
この言葉って、私と同じく『狭い視野』での言葉よね。
個人の意見じゃないんだもん。
前に「これはよくない!!みんなもそう思ってる!」という言葉が話題に出て「ヤバいwウケるwww」とか思ったけど、他者を巻き込むなよって話でね。
誰だよそのみんなって。
じゃあそのみんなとやらに詰問してもいい覚悟があってその言葉を発したんだな!?というw
私もそれはなかなかやらないなぁ。
たまにはやるけど。
「この人がこう言っていて、それが正しいと思うから、私もこの意見です」とね。
それに対してどうしてその人がそう思うからってそれが正しいんだって思われたこともあるけど。
いや、自分で考えてそう思ったから同意したわけで、その人が全て正しいと思ったわけじゃないし。
あなたが怒るのはそこじゃなくて、その意見に対してでしょ。
勿論意見にも納得はいかなかったみたいで討論になりましたが、その理由が今度は私が納得いかなくて、もうハチャメチャw
納得いく理由なら折れれるが、理論でも情でも納得いかないものを納得するわけにはいかない。
私の周りには私の目から見て、理論が強い人もいるし、情が強い人もいる。
どちらかに偏りすぎてる人はいつもどっかソリが合わないな〜と思う。
別に全部悪いわけじゃないけど、そこら辺は違うな〜って思うのよ。
これこそが価値観だよね。
違って当たり前なんだよ。
悪いことじゃない。
だからこそ人は分かり合おうとするわけだしね。
では無意識なものは…?となるわけだが、やっぱり難しくてね。
それまでの生き方も違うし、習ってこなかったものや、育てられなかったものなんかもある。
足りなかったものとかね。
与えたからと言って、それが届くかは別だし。
誰かのせいにするなと言うが、誰かのせいにしなきゃやってらんないことも事実在る。
それは届くようにやらなかった相手の惰性だと思うし、届くように受け取ろうと努力しなかった結果でもある。
与えられていたと気付かなかったことも確かに在るから。
相手にしてみれば「人が必死に与えていたのに、なんだその言い様は!」てなるじゃないか。
だからね……人のせいにばかりしてちゃいけないのは分かる。
分かるけど、そうしなきゃ前に進めないこともある。
だからってわざわざ言う必要もないんだけどね。
先人は特にそういうことを分かろうとしないから。
また、言っても意味がないし、傷つけるだけ。
ある意味届かないんだよね、その時が来なきゃ。
何言ったって生意気な!で終わるときがあるのも事実。
仕方ない。
だからって諦める必要はどこにもないけどね。
私は必ず来ると信じて、その時まで諦めない。
そこで諦める人も沢山いるもんね。
逆に成功して「必ずやれるから諦めずにぶちまけろ」というタイプもいるが、その時が今かどうかを見極めないとただの暴言になる場合もあるよね。
何事もタイミングだとは思う。
要は見逃すなと言うことなんだろうよ。
一番難しい話だw
で、無意識なんだが、それを自覚するように仕向けても上手くいかないことは多い。
だって無意識だから無自覚なんだもん。
例えばわきがの人は優しく「はい、デオドラント。最近暑いから必要だと思って…。使ってね」と言っても使わない人の話は多い。
正直周りは具合が悪くなるほどの臭いなので、もう我慢ならない。
で正直に「実はあなたの臭いで具合が悪くなるの。お願いだからなんとかして」と頼む。
または逆ギレじゃないけど「いい加減気付よ!臭いんだよ、あんた!!」と言う場合もある。
しかしわきがは無自覚。
酷い暴言を受けたとショックに陥る人は多い。
しかし既に周りは呼吸困難やストレス、頭痛や腹痛を抱える人で一杯です。
悪意はないが、わきがの臭いはそれだけ強烈で、またデリケートな話だから言いにくいんだよ。
切り出しにくい。
私も身近にそういう臭いの人がいて、周りはやはりそんな感じでした。
周りが陰口叩く前に正直に言ったのだが、やはり気付かないみたいでね…。
しもわきがという症状だったんだが、脇よりデリケート部分だからもう本当に難しかった…。
家族には臭くないと言われたよと返されたりね。
慣れは怖い。
デリケートな話だとこうなるし、状況次第でもっと悪化する。
それが無意識。
挙げ句「私は虐められている」になるしね。
子供だと特に多いのが「人が親切で教えてるのになんだその態度は!」で「ムカつく!!」になりやすい。
それで本当は虐めじゃなかったものが本格的に虐めに発展する場合がある。
勿論子供でも心情を察して「違うよ。あなたも辛いと思うけど、私も辛いし、周りもこのままじゃ困るし、少しだけ協力してくれないかな?」と言える人もいるだろうが。
↑私は当時言った。だから他でも言える人はいるはずだ。
大人でも「くっせーんだよ、迷惑なの分からねー?」という人がいるみたいですけどね………。
笑えねー…。
挙げ句その人に子供が「全員で無視したらいいじゃん」と意見してるのに意識が遠くなった…。
↑流石に「学校では出来るが会社では出来ないんだよ」と諭していて「子供の意見なんかじゃ駄目ですね…(泣)」という流れになっていたが。
もしそれやったらパワハラで訴えられるぞwww
でもそこの会社他にもう一人いるらしいのよ。
私わきがの人そんなに会わないんだが…。
会社に最低二人もいるって、なかなかないよね。
逆に不潔臭い人はよく会うがね。
あれは洗えば落ちる臭いだ。
わきがは清潔でも臭うからな。
なにせ風呂上がりに臭うんだから……!
………ああ、なんでそんなことばっかり知ってるんだ私。
↑だから匂いフェチとか言われるんだ!!

臭い以外でも無意識て凄まじくてね。
良かれと思ってやってるんだろうけど、相手をただ追い込んでる場合も多々ある。
それは仲がいい人が多い。
私もむかしやった。
別にそれは良かれと思った訳じゃないのだが、ちょっと困っていて助けて欲しかった。
それでずっと言いたい放題してた。
そしたら嫌われた。
弱っていた相手のことに気づけなかった。
そんな相手にずっと弱音ばかり吐いてた。
最低でしょ?
今考えても最低だと思います。
まあ、私も必死だったんだろうがね。
相当言いづらかったと思うよ、相手は。
可哀想なことしちゃった。
これだから無意識って駄目なのよ。
分かってないから。
まあ私の場合は反省していて、相手が許してくれた上に気をかけてくれて逆に謝られたからなんとかなったが。
私は去るもの追わずだからそれ以上自ら触れることはないので、またその人にえらい大変な目に遭わせたわけです。
自分から「さよなら」言っておきながら「ごめん、やっぱなし」というのはかなり勇気が必要ですからね。
私が怒ってる場合もあるわけだし。
まあそんなことやっておいて反省どころか怒ってるやつなんかこちらからさよならだけどwww
有り得ないだろ。
でもその有り得ないことをするのが人間で、もし私それ(相手の意見)に納得いかなければ「ふざけんな。今更何の用だ」と言っていた場合がないとは言えない。
これは視野の狭さではなく、視線の違いなんだよね。
どちらに視線が向いてるか。
これは凄く大切だと思う。


なんて色々考えた。
あまりご自分を傷つけないで欲しいと思うし、過去に捕らわれて欲しくない。
その時やれることを全力でやることしか赦されてないなら、その時それが出来なかったのは悔やむ必要はない。
その時は自分にはそれが出来ない『何かが』在った、または無かったんだ。
それは時間の中では余りに無力だ。
だから私は言い訳を見つけてでも自分を正当化させて欲しいです。
戦うとはそういうこと。
絶対的に徹底的に相手を粉砕し、決定的な勝利を掴むため、思い遣りを排除しなければならない。
少したりとも相手の気持ちを思いやってはならない。
分かろうとしてはいけない。
同情したら負けるから。
自分の正義と、相手の悪辣だけを見ればいい。
非道なそれしか戦いには残らない。
だから戦いになる前に、戦わずに済む戦いをしなければならない。
けれどもうその時が終わりなら、やっぱり情なんていらない。
守る戦いというのはそういうことだと思います。
どれだけそれが非情でも、勝たなければ守れないから。
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