2ヶ月ほど前からNHKでやっていたドラマをみてました。
つい先日、ドラマが完結したので感想を。
■導入部あらすじ■
不倫の末に子供を身篭った主人公・希和子。
しかし、不倫相手の妻にも同時期に子供が生まれており、不倫相手の頼みで希和子は子供を堕胎する。
子供を失い、傷心の希和子に不倫相手の妻は「子供を堕胎するような女に家庭を壊させない」と、心ない一言をあびせる。
あまりのショックに朦朧とした意識の中で希和子は思わず、不倫相手の子供を誘拐してしまう。
しかし、その子を腕に抱いた瞬間、希和子は紛れも無く自分はその子の母親であるという強い想いに揺り動かされる。
それが、希和子と彼女の「子供」薫との五年半に渡る逃亡生活の始まりだった…
■感想■
作品は大きく分けて成長した薫の「現在」の物語と
希和子さんと薫ちゃんが逃亡生活をしていた「過去」の物語に分かれています。
語られる時系列も視点も変化していることで、より複眼的に物語を捉えられるようになっているのですが、これが本当に絶妙な加減で、ふたつの時系列がそれぞれ別の問題提起をしているように感じました。
希和子さんが逃亡生活している「過去」パートで読者は希和子さんが子供を誰より愛している様子を見、感情移入する
しかし、薫ちゃんが語る現在パートに立ち返ると、幼少期に本当の親でない人に育てられ、そこで本当の親を超えるほどの愛情をかけられてしまった薫ちゃんが成長過程に受けた心の傷や痛みが描かれる。
つまり、読者は過去に起こった出来事を見ている限りでは希和子さんの行動は罪深いけれど理解できるものであり、彼女が薫に深い愛情を注ぐ姿を見れば「この時間がずっと続けば良い」と思っているのだが、
いざ現在に立ち返ってみると成長した薫ちゃんは幼少期を正しい親と過ごせなかったことで、心に矛盾と傷を負い、本来できるはずではなかった大きな溝を家族との間に作ってしまったという事実が浮き彫りになっている。
過去の表面をなぞるだけでは見えなかった希和子さんのしたことの罪の重さが現在の薫ちゃんの目線から語られることで明らかになっているのです。
今の薫ちゃんからすれば、希和子さんの与えた愛情は現在を蝕む枷に似たものなのでしょう(実際、希和子さんと過ごした時間の重さのせいもあって、薫ちゃんは実母とうまくいっていない)
親と子、というのは本当に難しい関係です。
私は親は無条件に子を愛す、とかそういう意見にはどうも懐疑的。
親子だから、うまく行かない関係になってしまうこともある気がします。
近すぎて、自分の一部すぎて。
だからこそ、自分との違いや合わない部分を認められない親子も、きっといるんですね。
薫ちゃんはあまりに深い愛を他人から貰ってしまったんでしょう。
本当の母親の愛情が小さく感じられるほどの深い愛情を。
状況は少し違いますがたまにいますよね、祖父母などが子供を溺愛しすぎて、親子関係がうまくいかなくなっている家庭。
希和子さんがしたことはそういうことだったように感じます。
愛情は正しい人(与えるべき人)に与えられてこそ正しく機能するのではないか、とドラマを観ながら思いました。
希和子さんの愛情は正しいものではなかったと思います。
希和子さんは他人の大切な子供を奪い、心に傷を残した。これは事実です。
でも、間違ってはいたけれど、事実としてその愛情は薫、という一人の女性の中に息づき、彼女を育てる力になった。
それが希和子さんが起こした小さな奇跡だったのではないか、と私は思うのです。
誰かを育てるほどの愛情を他人に与えられたこと、それはきっと奇跡だと。
愛情って難しいですね。
誰かを生かしも殺しもする
なにやら誘拐を美化した話にしか思えない方もいるようなので、万人向けではないかもしれませんが、私は胸を打たれたし考えさせられました。
犯罪だけど、彼女が薫ちゃんに与えた愛情の大きさは決して犯罪の一言で片付けられてしまっていいものだとは思えない。
こんなに深く、誰かを愛せているだろうか?と私はつい考えてしまいました。
原作も読んでみたいなと思います。
私は生まれてから五年間 父の不倫相手だった女性に誘拐されていた。
物心ついた頃にいたのは、傷ついた女性だけが集まり、野菜を育て パンを作り生活するコミュニティ・エンジェルの家
またそこから逃げるようにたどり着いた終着地・小豆島
誘拐されていた五年間のことを、私は少しずつ憎むように努力した。
そして二十歳になり、私は私を誘拐した女と同じように 不倫相手の子供を身篭った。
憎い、と思うべきだと思うのに 私はなぜか 彼女と同じようなことをしてる。
本当の意味で憎い、とはどうしても思えずにいる。
それはどうしてだろうか、と考えると きっと あの人が一緒にいた五年間
私は、間違いなく幸福な子供だったからだ
あの人は哀しいほど、私の「おかあさん」だった。
実の母よりも、あの人は私の「おかあさん」だった。
その記憶は時に私を苦しめるけれど、同時に 私を守り、強くしてくれる幸福の一瞬でもあると
私はそう、思うのだ。