やっぱり思ったんだが、どれだけの不幸があっても、幸福を望む心を捨ててはならない。
私は凄く辛いときがあって、正直これほどの不幸を与えられた代償が幸福だと云うならば、幸福など要らない。
考えたくない、誰か導いて。
そう考えていた時期があります。
本当に辛くて、未来を呪っていた。
未来なんか要らないから、過去を返してと叫んだ。
本当に欲しいものから目を背け、自分を偽り、嘘を吐き続けた未来を生きるのが嫌だった。
本当に欲しいものはもう二度と手に入らないこの生涯に何の意味があるのかと、泣いて暮らしていました。
そんな人にはデスティニープランが超お薦めwww
いやいや、ウケますなw

自分で考えるのをやめてしまったら、それはもう人間じゃないんだよ。
人間として生まれたなら、人間として生きなければならないんだ。
望む心も、夢見る想いも、全て大切なんだ。
好きでも何でもないことや、人を、これをしろとか付き合いなさいとか云われても、私には出来ない。
その人との生活が君には一番合ってるから、その人と生涯暮らし、子供を作り、愛し合って生きて行きなさいなんて云われても、それが『幸福』なんだとしても私には出来ない。
私は私の好きな人か、私が選んだ人としか生きていけない。
また、私が望んだことしかできない。
だから、どんなに辛くとも自分で考えなければならない。
どんなにこの先が見えなくて臆病になっても、不安でも、辛くても、悲しくても。
絶対に自分の意志を捨ててはならない。
それが代償だ。
多分自由の代償なんだ。
統制された幸福に不安はきっとない。
でも本物の幸福には遙か及ばない。
悲しいけれど、絶対に。
いつか未来が消えてなくなる日が来ても、それまで私達は戦わなければならないんだ。
そうして考えてみるとね、本当に難しいと思うんだ。
でも気付けた。
誰かに委ねたそれよりも、痛みを覚えても前を向いて戦った私が一番強かったこと。
思い出せたんだ。
一番強かったのは、いつだって誰かのために頑張れた自分だって。
誰かのために強くなることは私には出来ないけれど、自分のために付けた力を他人のために使うことは出来る。
昔強く願ったけれど。
大好きな人のために強くなりたいと、守れるようにもっと強くと願ったけれど。
やっぱり無理だった。
私は私のためにしか強くなれない。
でも、どんな風に身につけても力は力。
扱う心が同じなら、そうすれば良かった。
意固地にならずにね。

辛いときや悲しいときは、気が済むまで叫べばいいんだ。
私はそれを許されなかったけど、そうして我慢なんかしなくて良かったんだ。
飲み込む事なんて、必要なかったんだよ。
それを選んでしまったのは私。
許されないと諦めたのは私。
全て私の責任。
でもだからこそ選べる権利がある。
今こそ、好きな場所に行く権利を使うときだ。
もう邪魔はさせない。
誰が相手であろうとも。
そもそも人は孤独なもんだ。
どんなに仲が良くても、意見が違うときがある。
そんなときはお互いにぶつかって当たり前。
けれど思う。
そのぶつかった時の痛みを決して忘れないと。
そして思い遣りを忘れてはならないと。
誰でもない自分なら、自分で自分のことを決めるべきなんだ。
誰かの操り人形なんて嫌じゃないか。
だからこそ、私はこの選択をした。
そう、だから………きっと、間違いなんかじゃないんだ。
どれだけ悲しくて辛くても、やっぱり正しいんだ。
自分で決めた人生だから。

選択肢はいくつかあった。
我慢することも出来たはずだ。
それでもそれをしないのは、私が自分で決めたからだ。
誰かにとってそれが間違いと云われても、もう決して譲らない。
譲る事なんて出来やしない。
それしか出来なかった事には謝ることしか出来ないけれど、でも。
やっぱり嘘はつけないよ、自分には。

否定する。
ずっと否定し続ける。
自分が違うと思うなら、否定しなければいけない。
それが正しかったとしても、自分が納得するまでは、私は否定する。
それで間違いだと気づいたなら、それでいいじゃないか。
結局人は己の価値観でしか生きられない。
生きていけない。
だから話し合うんだ。
最後まで。
それでも駄目なら、実力行使するしかない。
それに対して譲ることは叶わないから。
それは誰しもがもつ『正義』だ。

出来ることなら理解して欲しかった。
理解出来ないと云われたことが、今も悔しいし、苦しいよ。
でもそれは仕方ない。
そしてもう終わったことだ。
けれどやっぱり悲しい。
それだけはどうしようもないよね。

本当に辛かったとき。
今でも何が一番必要だったかは分からない。
ここまで苦しんで、それでも分からない。
多分一生分からない。
でもやることはやらなければならない。
だから決める。
まず、決める。
そうして決めたことをやり遂げるために、今はまだ負けられない。
頑張ったよね、私。
だからもう、塗り替えるよ。
今はその時なんだと思う。
大切な何かのために犠牲になるのはもうおしまい。
大切な何かのために、何かをしてあげられる自分になるんだ。
そのためにはまず自分を取り戻さなければならない。
もっと自分に慈しみを持たなければならない。
自分が嫌いな人は、他人を思いやれないよ。
私は今も自分が嫌いだけど、自分が少しでも好きになれるように、自分に応えていきたい。
誰でもない、自分自身に。

人によって価値観は違う。
人への価値観、お金への価値観、情に対する価値観、誰一人として同じものはない。
けれど、その同じものではないものを迫害しては、私も結局人間の駄目なところをモロに出してるのと同じだから。
だから、理解できなくても、納得いかなくても、それはそれでいいと言える自分になることから始めたい。
けれど決してもう譲ることはならない。
それはやはり私の価値観だから。
違うと思うなら、決して絶対に譲ることはしない。
それが悪いというならば、やっぱりその人も私と同じで価値観をなすりつけてるだけなんだ。
どれだけそれが正しくとも、どんなに私を思っての言葉でも、絶対に拒否する。
それが私らしさだったはずだ。
自信だったはずだ。
だからこそ選んだ道だったはずだ。
そして…大切な人を守るつるぎだったはず。
貫けなかったのは、そのつるぎが壊れたからだ。
ひび割れて、砕けたからだ。
自信喪失、自己破壊、未来を失ったから。
でもね、もう大丈夫だよ。
私は笑えるから。
きっともう負けたりしない。
負けは負けと認めたときに完全敗北となる。
けれど、今は清々しい。
これからがあるから。
もう過去を取り戻そうなんて、思わないよ。
二度と手に入らない宝は、そっと仕舞って置いたから。
未来に行くね。
今は知らない未来。
だからこそ不安だけど、だからこそ生きていける。
知らないからこそ、笑うことが出来るよ。
諦めるわけにはいかないからね。

賭をしたい。
これからを決める、賭を。
それはどうなるかは分からない。
でももう決めていることがある。
その覚悟をしている。
結局ね、人は云わなければ分からない。
だから………分からないんだ。
云ってもらわなければ分からないんだ。
誰もがそうなんだ。
特に云いづらいことを、分かってもらえないときは辛い。
察してくれないのが辛い。
でも分からないんだよ。
他者は決して自分ではないからだ。
どれだけ思いやってくれていたとしても、云わないのはその人の怠慢だ。
好きや愛してるを云わない人は「わかりきったことだろう」と言うね。
けれど相手が不安なのは分かってないんだね。
口にして欲しい気持ちが伝わってないんだよ。
それを云わないのも、それを伝えないのも、怠慢なんだ。
怠慢にしか過ぎないんだ。
そりゃ何度もしつこく毎日云うのもどうかと思うけどね。
やっぱりずっと延々と照れるからなんて云わないのは怠慢でしょ。
云わなきゃ分からないのが他者なんだ。
だから私も怠慢に気づいたから…云わなければならないことは云うよ。
どれだけ相手を傷つけても、どれだけ思いがすれ違っても。
それが辛くても。
出来ればそんなことにならないようにと祈るけど、多分無理だろうから。

望む未来を得るために、人は戦い続けることしか出来ないんだ。