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競泳

北島オリンピック連覇おめでとう!!
嬉しいよ〜!!!!
明日も頑張って欲しいですvV

助けて

ああ、信じらんないほどどーにもならん。
困ったから書いてみた。
おお!笑えないほどヘコんでる!!

何かあってヘコむのとは違い、波が押し寄せるようにやってくるコレにはどう対処したらいいか、未だに分かりませーんっ☆
助けてーwww
(><;)

そんなわけで執筆活動が全く出来なくて弱ってます。
ああ、参ったな。

仕事中には八つ当たりをしたり、感情が不安定になり、プライベートになると普通に戻ることが出来る『新鬱病』みたいのがあるという記事を読みました。
それに対してみんなが「そんなもんみんなじゃん!」とか「ただの甘えだろw」とか「何でもかんでも病気にするな!!」とか書いてあって、逆に「鬱病の人に失礼」とか鬱病の人が「ムカつく!」と書いてあったりした。
…………ええっ!!??
どこがムカつくの!?
それで凄く悩んで傷ついてる人いるじゃん!
特に鬱病の人がムカつくって書いてあるのがショック。
確かにね、プライベートになったらアクティブに遊んでるとか書かれたら、こっちは引きこもりで悩んでるのによ!と思わんでもない。
でもそれもひっくるめて罪悪感で苛まれてる人がいるのを知ってます。
私から言わせりゃ、頑張って動いてる人から見たら病気の奴なんてみんな甘えだよ。
足が痛いから働けないとか、病気の子供がいるから帰らなきゃいけないとか、全部言い訳じゃねえか。
働けよ!
ふざけんな!!
もしそれは否定されて、見えない病気の心の病だけを糾弾するなら筋違いだ。
病気なんかなりたくてなったわけねえだろぉぉぉ!!!!
甘え甘えとやかましいわ!!!!
だったらお前もそうなってみろ!
どんだけこの世に居心地悪いと思ってんだこんちくしょー!!
つか、その記事読んで「オレもそうかもw」とか「私のことじゃんwww」とか気軽に書いてんじゃねえ!!
じゃあ貴様は八つ当たりを他人様にふるってんだな!?
そういう人間として見られて平気と宣言してるのと同じだってことに気付け!!!
ああ、どいつもこいつも浅い。
甘えじゃなくて、本当にそれで辛い思いしてる人いるんだよ。
それを認めるなら鬱病なんかみんな甘えと見られても仕方ないじゃないか。
要は、それが辛いかどうかじゃないの?
鬱病の人がそんな風に拒絶してたら駄目じゃないか。
自分で自分をただの甘えたと言ってるようなもんじゃんかよ。
だったら働けよ。
それを言い訳にするなよ。

因みにそういう診断受けて、治ってもないのに働き通しの人がその記事を全面否定していた。
自分が出来ることを人が出来ないから『甘え』と言うならば、それ自体が甘えじゃん。
そんなこと言ったら、やれる人はやれない人に対して暴言吐いていいと言ってるのと一緒じゃん。
だったら最強は不幸自慢優勝者か?
アホらしい。
自分が頑張ってるのにこいつらは何だよ!!って言いたいならどうぞご勝手に。
でも私からしてみれば恥曝してるのと変わらんよ。
この世にはこんなに頑張ってる人がいるのに〜…のタイプが大嫌い。
出来る人が出来ない人を糾弾していいと勘違いしてるから。
出来ないことがどれだけ辛いか知りもしないで平気でそれを口からこぼれてるのに気づきもしないんたから。
頑張ってれば誰かを傷つけて許されるなら、私だってこうして全面否定する権利がある。
頑張ることだけはしてるからね。

ひっさびさに全面否定したくなるようなコメントわんさか見ました。
目に見えないものを信じられないんだよね。
自分が経験しないと理解できないし、否定したいんだよね。
悪いとは言わないが、私には馬鹿にされます。
だって馬鹿だもん。
理解能力が低い馬鹿じゃない。
まあ、本当に甘えで「病んでるの」って言う人いるからねえ。
でもその人たちも実際病んでると思うよ?
よく恥ずかしくもなく病んでると言えるな〜と。
だから既に尋常ではないよね。
↑嫌みじゃなくてね。
私も書くけど、そういう目で見られる覚悟をもうしたからね。
恥ずかしいけど事実を受け止めようと思うから。
甘えさせて欲しいから言うなら、やっぱりもうどっかやられてるんだよ。
イかれてるんだよ。
だから治さなきゃいけない。
これはどうしてそうなるか少しだけ思い当たる節があるんだよね…。
多分可哀相だけど治らないと思う。
治った人を見たことも聞いたこともないから。

不思議な感じだな。

誰にも負けない

一つだけ、誰にも負けないところがあるならば。

私は自分を殺すのが得意な気がする。

そうして私は私に殺されて、私は私が分からない。

けれど私は決して死にきることもなく、強靱な何かがいつも在り、私はそれに振り回される。

いっそ全て楽になればいいのにと思うのに、私は私を赦さない。

その強さを持っているのに、私はもうその強さをふるえないと思ってる。

宝の持ち腐れのように、ただ私を傷つけのし掛かる重りのようなものだ。

でもそれを捨てることが出来るのは、きっとこの生命体が息を引き取るときだけなんだということも知っている。

だから苦しいんだって、だから悲しいんだって、だから切ないんだって、叫びたかった。

叫んだら何かが変わるわけじゃないけれど、それでも少しは自分を赦せるような気がした。

どうせなら凄く弱い人間になりたかった。

目も当てられぬほどに弱くなりたかった。

沢山沢山逃げてしまいたかった。

それすらも赦されなかった。

信じるものは目に見えるもの?

優しいのは甘さ?

本当の想いは誰にも見えないのに、どうして理解して貰おうとするの?

自分が良ければそれでいいのに、どうして全てを手に入れようとするの?

私はわがままになった。

優しさを履き違えてた。

だからもういいんだって、それで正しいんだって、私は私に言い続けてるのに。

私が良ければそれでいいと言うのは、決して間違ってなんかないって何度も伝えたのに。

理解できないことが辛くて、理解して貰えないことが辛くて、でもやらなきゃならないことはあるって、それでも我を通して進まなきゃならない道はあるって私は知っていたはずなのに。

どれだけ分かったつもりでいても、何も分かっちゃいないのだ。

自分も他人も。

けれどそれは仕方ないこと。

だからこそ分かり合えたことが愛しいのだと、私は知っている。

それは奇跡のような事だと知っているはずなのに。

私は私を嫌いだけど、自分が嫌いな人は誰も愛せない。

自分を愛せるから人に優しくできるのだ。

人に思い遣りを持つことも、人を愛せるのも、全て自分にそれが向いてなければ偽善になってしまう。

本当に人を想える人は、自分も必ず守れる人だ。

それでも想う気持ちは嘘じゃないと知っている。

本当ではないけれど、嘘でもないよ。

この痛みの中で、私は何を忘れてはならないんだろう。

そして何が足りないんだろう。

きっと自分で手に入れなければ何も意味はないと知っている。

迷うことも、戸惑うことも、慈しむことも、憎むことすら、全て必要だったと…いつか私が私に理解出来たとき、私は納得してくれるだろうか。


自分がしたいことをしたならば、きっとこんな後悔はなかっただろう。

では何のために私は自らを殺し、それを成したのか。

それだけを信じたい気持ちを嘘にしちゃいけないって、また私は何度だって無情に訴えなきゃいけない。

叶わぬ気持ちに嘆いていたらそれが嘘になってしまうのだと、意味を成したいなら突き進むしかないと、自分が決めた意志だったと、間違っても誰かのせいになんかしたくないって、だから私は笑わなきゃいけないって。

誰よりもずっとつきあっていかなきゃいけない自分自身だから、私は私の身の振り方を考えなきゃならないと思う。

罪悪感に苛まれていた。

ずっと苦しかった。

でも本当に悪いと思うなら、嘆き悲しんで孤独に死と向き合うのではなく、痛みを引きずりながら過去の罪を背負い生を全うするのでもなく、楽しいと思うときに笑い、哀しいと思うときに泣き、喜びを感じるときに飛び跳ね、怒りを感じるならそれをぶつければいい。

本当にしなければならないことは生き抜くことだって、生きてるなら感情のままに笑うことも泣くこともあるって、本当はそれが全て赦されてるはずだって、誰かを傷つけてでも選んだ道ならば自分の罪悪感に負けてる時間はないって、何度だって、私は私に言っている。

誰かを想って泣くよりも、誰かを想って笑う方がいい。

自分の不甲斐なさに挫けそうになっても、自分の無力故の歯がゆさに傷ついても、いいよ。

けれど自分が助けることが出来た人もいて、自分が救うことが出来た人もいて、そうして自分がその時その場にいたから誰かを泣かさずに済んだことすらも全てなかったことにしてしまうのは、絶対に間違ってる。

その力は本当に頼りなくてちっぽけだけど、もっと適任の人はいただろうけど、それでも背中を支えたことに誇りが持てなきゃ、自虐に過ぎないだろうから。

正しいだけじゃ駄目なんだ。

それを忘れちゃいけない。
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