昨今、なんでもかんでもアプリになって……と嘆いていますが、使ってみると、便利なところもあって「いいんじゃない?」って思うこともしばしば。なに上から目線でいっているんだって感じですけど。
もとよりものを多く持つのが苦手なので、何でもかんでも記録につけておけばあとは手放しても大丈夫!って気持ちをもっているから、アプリとかWEBに備忘録を残せる形式が一番いいんですよね。

かなり前に恩田陸さんの「まひるの月を追いかけて」という小説だったと思いますが、その中で『日記をつける習慣の人間は、日記をつけないとその日が終わった感じがしない』という旨の習慣病のようまものって言っていらっしゃっいました。まさにそれ。これどこかでも行った気がしますが、日記習慣はあるとあるで不便でもあるんですね。
どうせ自分用のものなのだから、適当なメモ書きでいいんですけど、あれしたこれしたって、やっぱり書き留めておきたくなる。結果、いつも手書きでかいている方の日記はまとめ書きで数ページにわたります。手が痛くなってきて辞める感じ。

仕事でこまめな記録をつけるようなものに携わっていると、数行のメモが重なる方が、以後の振り返りのときに楽しいかもって思えました。
これも一種の自分の精神価値観変動の記録的なものでもあるので、観測の生業ですね。心のうちで何を思っているかとか、その時感じた気持ちをあわせて書いていくとなおわかりやすいかもしれません。

結局あれこれ言ってるけど、好きでやってんだろってところです。そうですね。誰に言われているわけでもないですから。
ただ、これだけいつも文章を書きつけているから、文を書くの得意でしょう?って言われたこともあるんですけど、適当に書くのと、筋道立てて組み立てるのは別。

冒頭の話題になりますが。
映画などを記録できる『Filmarks』と、読んだ本を記録できる『読書メーター』のアプリを、今使っています。時折電子書籍もつかったり。ぼちぼち便利機能を使いつつ。
登録したのは少し前で、使い始めの頃はあれこれつけていまいたが、案の定すぐに飽きがくる。性格上しっている〜。でも消さないでいると、あとあとぼちぼち使い続けるのも知っているので、断片的なもがいろんな形で残っている。