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66。

競泳の池江選手の白血病公表。





衝撃的な知らせでした。




2020年の東京五輪の中心になり得る選手。





水泳に詳しくなくても、誰もが知る選手。






そんな、日本の誇りである選手がなぜ…





どうにもならないことだけど




ショックが隠しきれない。






そんなとき、職場の同僚が



「なんで、よりによって池江選手のようなすごい人が…」


と言うのを耳にした。




もちろん、難病に苦しむ人が日本中、世界中にたくさんいることは分かっています。





それでも、多くの人が「よりによって」と思ってしまった。





この考え方は、命の平等さと矛盾してる。






人の命の重さは、はたして平等なのか。



前にみんなで考えたことがある。






ある人は


人の命の重さに優劣があったらおかしい。

命は平等だ。


そう言った。


別の人は


自分にとって大事な人が亡くなるのと

全く知らない人が亡くなるのとでは

悲しみは全然違う。

つまり、命の重さは同じではない。



そう言った。



どちらの意見も納得してしまう。






命の重さは善人だろうが悪人だろうが同じであるべきだ。



でも、どこかで人が亡くなったニュースを見てもめちゃくちゃ悲しむわけではない。

自分の知り合いが亡くなったときには、涙を流して悲しむ。落ち込む。



つまり、自分にとって身近であるかどうかで

命の重さに差が生じている。



ただ、それは私個人の話であって



全体で見れば、やっぱり命は平等なのだとも思う。









自分がもし明日、病気だと分かったら。



池江選手のような、力強い前向きな言葉が言えるのか。


まだ18歳なのに、本当にすごい。強い。





水泳のことや、オリンピックのことは

とりあえず二の次で。




まずは、しっかり休んで、しっかり治療して、



元気になってほしい。



そう祈るばかりです。


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