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77

大変。とうとう77番目が来てしまった。
はじまりはいつも7とかプロフィールに書いてるし、なんか特別なことでも書いた方が・・・とか思うが書かない。
最近特に特別なこともないしね。

昨日は、久々に深イイ話をみた。
というのも、最近ずっと連載を読んでいる牧村朝子さんが出演されるという話を聞いたからだ。
牧村朝子さんは、フランス人の女性と結婚している女性で、現在は奥さんとフランスで暮らしている。
今月の中旬から日本に少しだけ帰ってきていて、トークショーにいくつか参加されているそう。行きたかったのだけれど、都合が合わずに断念した。だから、せめてテレビだけでも、と思ってね。
動いている彼女を見たのは初めてだったので、なんか新鮮だった。ああ、実在する人なのか・・・!って笑

スタジオで映像をみていた芸人も言っていたのだけれど、本当に幸せそうで、恋愛というものは男女ではなく人間がするものなんだなあと感じた。
わたしは、LGBTのような性的マイノリティに対して特に何の意見も抱いていない人間だと自分では思っている。
わからない。無意識に差別的な感情を抱いているかもしれないし、断言はできないけれど。
愛に性別も何もないよなあと思っているから。それに、これだけたくさんの人がいて、ものごとがあって、多様性に溢れている世界なんだから、性にだって多様性を認めようよ!と思う。
誰かが特別傷つく話でもないし、よくよく考えたらタブー扱いされる話じゃないでしょ、と。
性や、年齢や、社会的立場で、人間って決められてしまうものだけれど(規定されてしまうって感じかな)、そういうことの前に、ひとりの人間なんだってことを、もっと実際のこととして多くの人が認識するようになればいいなあと思った。
自分と関わる人を、ひとりの人間としてその存在を認める。あなたはそう考えているんだね、と受け入れることが出来る人間になりたいなあ。

番組をみながら思ったのは、自分がこうやって、そのまんま認められたかったんだなあ、ということだった。

女性性をウリにして男性と関わるとさ、高確率で、「女性扱い」をされるの。
まあ、当然だよね。「わたしは女性です!」ってことをばんばん表に出しているんだからさ。
その人の「女性扱い」を見ると、普段どうやって女性を捉えているのかが垣間見えるの。

わたしの場合は、少し下に見られることが多かった。
あ、でも前提として、わたしは「女性性=少し頭が弱い感じ」というゆがんだ認識を持って行動していたから、きっとそれに因るところが大きかったんだろうけれども。
たとえば。わたしが興味を持っている分野に関して詳しい人に、デート中にその分野の話をふると、「えー、そんな話いまするの?笑」「こんなフランクな場で?笑」と言われて、その代わりに話すのは、恋愛のことだったり、くだらない話や自慢話。
なんかなあ、なんか違うんだよなあとデートの度に感じていた。
いつも少しだけ、この子とはそういう話は「できない」と思われているんだろうなあというのが感じられた。
これも、「わたしはものごとをあまり知らない。考える力がない。」というわたしの自意識がそうさせた部分があるなあと書きながら思ったけれど。

そういう違和感を繰り返し感じているうちに、すっげえくだらないなと思うようになった。
(自分がそういう扱いをされるような行動をとっていたっていうのもあるけれど)女性だからってなんでその部分だけで判断するんだ?もっときちんと中身も見てほしい、人間として関わりたい!って。

思えばそこが分岐点だった気がする。

男ウケを狙った(自分なりの)洋服やヘアスタイルやメイクをやめて、自分に似合うってなんだろう、と考えることができるようになった。
わたしが女性性を押し出して男性と関わるきっかけになった母は、よく「シンプルすぎ・・・」「もっと華やかなかっこをしなさい」と言うけれど、なんかもう気にならなくなった。以前はいちいち、それが世の中の男性の一般論なのかも、と母の言葉を受け止めていたが。
世の中の男性の多くがわたしのことをわからないと言っても、全員がわからないと言うわけではないと思うし。

あと、女性性を利用しないということは、わたしにとって、人間的に成熟していくことに向き合うことでもある。
女なんだから、という枕詞を使わないようにしようっていう、心の中の決めごと。
もう女性であるということを言い訳にしない。人間として生きていきたい。

性別というものは、必要だと思う。実際体のしくみだって全然違うし、力も全然違う。
ただ、あくまで区別であるべきだと思う。差別として存在すべきものじゃない。
周りを見ると、たくさんの差別が当たり前の顔をして存在しているんだよね。それだけ根深いんだろうなと感じる。
完全になくすことはきっと難しいし、もしかしたら不可能なのかもしれないけれど、少しでも減らすために何かできたらなあと考えている。
せっかく同じ時代に生まれてくることができたのだしね。

こんな長い文章書いたのいつぶりだ!!レポートかよ!!ねます!!

76

わたしは、自他ともに認めるネットストーカーである。
自分でも引くくらい、「知りたい!情報がほしい!」と思ったものごとに関しては執着が強く、時には何か月かかけてでも、絶対に見つけ出す。
頼まれたものに関しても絶対見つけられる。最近は本気でネトスト会社でも立ち上げようかと考えているくらい。結構需要あると思うんだけどどうかな?

実際探してみると、そんなに時間や手間がかかるようなものなんて滅多に無くて、大体がすぐに見つけられる。
本当にびっくりするくらいあっさり出てくる。フルネームも、顔も、学歴も、現在の居住地も。なんなら、その人の周辺にいる人たちについても。恋人やら、家族やらね。
すごいこわいことだなあって、その度に思う。
インターネットで何か情報を発信したら、それはまず一生データとして残る。消したとしても、絶対に復元できる。完全な消去っていうのは不可能。
さらに、設定しておけば防げる話だけど、自分の個人情報に誰でもアクセスできる状況って、とんでもなくリスキーだよね。わたしは善良なネットストーカー(善良もなにもって感じだけど)だから、変にデータを利用することもなく「へー」くらいで終わらせるけれど、万が一変な人に利用されたりしたら・・・って考えないんだろうか。

わたしは自分がネットストーカーだから、 ネット上の個人情報の取扱いに関しては本当に気を付けている。
「足がつきにくい人間だな〜」と自分でも感じる。
まあね、ただの一般人だしそんな気にすることもないのかもしれないね。周りのみんなは全体公開でfacebookに自分の写真あげてるしさ。変な事件に巻き込まれたりなんて、ほぼありえないことなのかもしれないんだけど。
でも、決して「自意識過剰」だったり、「考えすぎ〜」ではないと思う。
インターネットは本当にこわい。便利だけれども同じくらいこわい。
簡単に使えてしまうものだからこそ、今一度使い方についてきちんと考えた方がいいと思う。
わたしがネットストーカーしづらい世の中になればいいのになあ。




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