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79


こんな夜中まで起きていて、かための話題についての文章を読んでいると、段々と頭が煮詰まってくる感じがして、気持ちが悪い。
好きな人の顔が浮かんだり消えたりする。
彼のことを考えている部分の脳を、切り取って払いのけてしまいたくなる。

やらなきゃいけないことをやっていないときの気持ち悪さがあるんだけど、これはどうやったら消えるのだろうか。
寝ればいいのかなあ?

78


今日は学校がない日だったので、久しぶりに料理をした。
夜ごはんにするには少しボリュームが控えめだったけれども、お母さんがおいしいと言ってくれたので安心。

一人暮らしをし始めてすぐの、自炊ビギナーのころから随分と成長したよなあとしみじみしてしまった。
さくさく野菜を切れるの。手が勝手にリズミカルに動くんだよね。感動した。

片付けもぱっぱっとできるようになって、なんだか楽しかった。きっとたまにしかやらないからなんだろうけど。
週1回だけ自炊担当になろうかなあ。

もうすぐ10月が終わる。
バラエティに富んだ1ヶ月だったように思える。
大好きで大好きで頭がおかしくなるかもしれないと思った人とさようならをして、いまは他の人をぼんやり愛しく思っている。
何度繰り返しても、恋愛のはじまりって慣れないもんだね…。
これが恋愛なのかも、実際よくわかっていないんだけどさ。
次会う日までに、何を出来るようになろうかな。
どんなわたしで会おうかな。
そういう風に思える人と出会えてよかったなあと思っているいま。
強くしなやかな人になりたいな。
エムブロのあの人は、元気に過ごしてるんだろうか。

77

大変。とうとう77番目が来てしまった。
はじまりはいつも7とかプロフィールに書いてるし、なんか特別なことでも書いた方が・・・とか思うが書かない。
最近特に特別なこともないしね。

昨日は、久々に深イイ話をみた。
というのも、最近ずっと連載を読んでいる牧村朝子さんが出演されるという話を聞いたからだ。
牧村朝子さんは、フランス人の女性と結婚している女性で、現在は奥さんとフランスで暮らしている。
今月の中旬から日本に少しだけ帰ってきていて、トークショーにいくつか参加されているそう。行きたかったのだけれど、都合が合わずに断念した。だから、せめてテレビだけでも、と思ってね。
動いている彼女を見たのは初めてだったので、なんか新鮮だった。ああ、実在する人なのか・・・!って笑

スタジオで映像をみていた芸人も言っていたのだけれど、本当に幸せそうで、恋愛というものは男女ではなく人間がするものなんだなあと感じた。
わたしは、LGBTのような性的マイノリティに対して特に何の意見も抱いていない人間だと自分では思っている。
わからない。無意識に差別的な感情を抱いているかもしれないし、断言はできないけれど。
愛に性別も何もないよなあと思っているから。それに、これだけたくさんの人がいて、ものごとがあって、多様性に溢れている世界なんだから、性にだって多様性を認めようよ!と思う。
誰かが特別傷つく話でもないし、よくよく考えたらタブー扱いされる話じゃないでしょ、と。
性や、年齢や、社会的立場で、人間って決められてしまうものだけれど(規定されてしまうって感じかな)、そういうことの前に、ひとりの人間なんだってことを、もっと実際のこととして多くの人が認識するようになればいいなあと思った。
自分と関わる人を、ひとりの人間としてその存在を認める。あなたはそう考えているんだね、と受け入れることが出来る人間になりたいなあ。

番組をみながら思ったのは、自分がこうやって、そのまんま認められたかったんだなあ、ということだった。

女性性をウリにして男性と関わるとさ、高確率で、「女性扱い」をされるの。
まあ、当然だよね。「わたしは女性です!」ってことをばんばん表に出しているんだからさ。
その人の「女性扱い」を見ると、普段どうやって女性を捉えているのかが垣間見えるの。

わたしの場合は、少し下に見られることが多かった。
あ、でも前提として、わたしは「女性性=少し頭が弱い感じ」というゆがんだ認識を持って行動していたから、きっとそれに因るところが大きかったんだろうけれども。
たとえば。わたしが興味を持っている分野に関して詳しい人に、デート中にその分野の話をふると、「えー、そんな話いまするの?笑」「こんなフランクな場で?笑」と言われて、その代わりに話すのは、恋愛のことだったり、くだらない話や自慢話。
なんかなあ、なんか違うんだよなあとデートの度に感じていた。
いつも少しだけ、この子とはそういう話は「できない」と思われているんだろうなあというのが感じられた。
これも、「わたしはものごとをあまり知らない。考える力がない。」というわたしの自意識がそうさせた部分があるなあと書きながら思ったけれど。

そういう違和感を繰り返し感じているうちに、すっげえくだらないなと思うようになった。
(自分がそういう扱いをされるような行動をとっていたっていうのもあるけれど)女性だからってなんでその部分だけで判断するんだ?もっときちんと中身も見てほしい、人間として関わりたい!って。

思えばそこが分岐点だった気がする。

男ウケを狙った(自分なりの)洋服やヘアスタイルやメイクをやめて、自分に似合うってなんだろう、と考えることができるようになった。
わたしが女性性を押し出して男性と関わるきっかけになった母は、よく「シンプルすぎ・・・」「もっと華やかなかっこをしなさい」と言うけれど、なんかもう気にならなくなった。以前はいちいち、それが世の中の男性の一般論なのかも、と母の言葉を受け止めていたが。
世の中の男性の多くがわたしのことをわからないと言っても、全員がわからないと言うわけではないと思うし。

あと、女性性を利用しないということは、わたしにとって、人間的に成熟していくことに向き合うことでもある。
女なんだから、という枕詞を使わないようにしようっていう、心の中の決めごと。
もう女性であるということを言い訳にしない。人間として生きていきたい。

性別というものは、必要だと思う。実際体のしくみだって全然違うし、力も全然違う。
ただ、あくまで区別であるべきだと思う。差別として存在すべきものじゃない。
周りを見ると、たくさんの差別が当たり前の顔をして存在しているんだよね。それだけ根深いんだろうなと感じる。
完全になくすことはきっと難しいし、もしかしたら不可能なのかもしれないけれど、少しでも減らすために何かできたらなあと考えている。
せっかく同じ時代に生まれてくることができたのだしね。

こんな長い文章書いたのいつぶりだ!!レポートかよ!!ねます!!

76

わたしは、自他ともに認めるネットストーカーである。
自分でも引くくらい、「知りたい!情報がほしい!」と思ったものごとに関しては執着が強く、時には何か月かかけてでも、絶対に見つけ出す。
頼まれたものに関しても絶対見つけられる。最近は本気でネトスト会社でも立ち上げようかと考えているくらい。結構需要あると思うんだけどどうかな?

実際探してみると、そんなに時間や手間がかかるようなものなんて滅多に無くて、大体がすぐに見つけられる。
本当にびっくりするくらいあっさり出てくる。フルネームも、顔も、学歴も、現在の居住地も。なんなら、その人の周辺にいる人たちについても。恋人やら、家族やらね。
すごいこわいことだなあって、その度に思う。
インターネットで何か情報を発信したら、それはまず一生データとして残る。消したとしても、絶対に復元できる。完全な消去っていうのは不可能。
さらに、設定しておけば防げる話だけど、自分の個人情報に誰でもアクセスできる状況って、とんでもなくリスキーだよね。わたしは善良なネットストーカー(善良もなにもって感じだけど)だから、変にデータを利用することもなく「へー」くらいで終わらせるけれど、万が一変な人に利用されたりしたら・・・って考えないんだろうか。

わたしは自分がネットストーカーだから、 ネット上の個人情報の取扱いに関しては本当に気を付けている。
「足がつきにくい人間だな〜」と自分でも感じる。
まあね、ただの一般人だしそんな気にすることもないのかもしれないね。周りのみんなは全体公開でfacebookに自分の写真あげてるしさ。変な事件に巻き込まれたりなんて、ほぼありえないことなのかもしれないんだけど。
でも、決して「自意識過剰」だったり、「考えすぎ〜」ではないと思う。
インターネットは本当にこわい。便利だけれども同じくらいこわい。
簡単に使えてしまうものだからこそ、今一度使い方についてきちんと考えた方がいいと思う。
わたしがネットストーカーしづらい世の中になればいいのになあ。




75


昨日、「キャバ嬢の社会学」という北条かやさんの本を購入した。
4分の3くらい、帰り道にがーーっと読んでしまった。
とっても面白い。

「社会学」って、なんなのだろうとかねてから思っていたわたし。
冒頭に、社会学とは、の説明があってすっきり。
わたしは、大学で社会学の異文化バージョンをやろうと思っているので、なんだか親近感が湧いた笑
なんかさ、「経済学部」だったり「理学部」だったり、さまざまな学部の名前をよく聞くじゃんか。でも、よく考えると、それぞれの学部でどんなことをやっているのかぜんっぜん知らないんだよね。
「社会学部」だって、なんなら受験しようかな?って思っていたはずなのに、結局今の今まで何をやる学部なのか知らなかったし。
学部じゃなくて、分野だってそう。「公共政策」だってたまに聞いていた単語だけど、なにをやっているか知ったのは最近。
なんとなく知った気になっていることがどれだけ多いのかを考えさせられたよ。
何かに興味を持ったら、表面だけを知って満足するのではなく、もう一歩踏み込んで、そのことについて自分の意見を持てるようになるまで、調べて考えたいな。

話は戻り、その本を読みながらいちばん考えたのは、まさかの、自分のことだった。
わたしは去年の秋から今年の夏ごろまでひたすら自分を「男ウケのいい女」に近づけることにハマっていた。
だから、この本に書いてあった、「パロディとしての女らしさ」、ということばをはじめ、さまざまな「女らしさ」にかかわる文章やことばに他人事ではない何かを感じた。
2回読んで、考えたことをまとまった文章にしたいと思っている。

若さだったり、女らしさというものには、実際価値があるし、お金にも変わるもんだなと、ここ1年でつくづく感じている。若い女というだけでわたしはどれだけ得してきただろうか。
「女らしさ」「男らしさ」・・・わたしは多分ジェンダーに関心があるんだと思う。
といいながら、まだジェンダーって何?ということすらわからないんだけれども。
少しずつ勉強したいことが定まってきたように感じる。
男女ネタは、やっぱりわたしの人生から切っても切り離せないものだから笑

将来やりたいこともなんとなーくなんとなーく見えてきたような。
だから、毎日練習したいなと思っている。
若さは武器だと思う。から、使える間に使いまくりたい。使いこなしたい。
がんばろう。








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