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世界中の人が親切だったら

世界平和は不平等でなければ
成り立たない。

持論。

平和ぼけした日本というけど
格差も病気も災害もある。

親切な人、優しい人は
極論、
不幸な人がいなければ成り立たない。

もし、
親切な人だけの世界になったとする。

それは理想かもしれない。

でも、親切心を満たせない。

で、自分の方が親切な人だと
競いだす。

争い、戦争になるかもしれない。

平和にするためにどうすればいいか
考え始める。

法律や条例とか
制約ができる。

そういうのは守る人のために
あるわけじゃない。

守らない人のためにある。

守る人は規制がなくても守る。

全員が守るようになると
廃止されなくても
忘れ去られていく。

そういう時に大事件が起こると
世界の人は
改めて思い出し、
それが大切だと再認識する。

近所の揉め事なんかじゃ
発信性はないし、
世界は注目しない。

大事にならなきゃいけない。

親切の話に戻る。

親切にする相手は
自分より劣っている、
もしくは不幸でなければいけない。

自分より秀でている人には
親切にできない。

怪我をしている人が
健全な人に
譲ったりしない。

そういうことが
深層心理にはあると思う。

格差とか不平等がないと
人は優しく親切にできない。

平等になると
不平等を求める。

世界はそういうふうに
できている。

哲学は偉大だね。
考え事はおもしろいね。

なんかそういう本あったよね。

世界中が幸福だったら、
みたいなやつ。

極論も可能性。
あやふやよりはわかりやすい。

たまには
余裕があるなら
こんなことも考えたい。

迷走

発信は苦手。
本音を言う事も苦手。
笑ってごまかす。

本音はここでしか綴らない。

苦手と言っても
何も言えないのは悲しい。

頭おかしくても
キチガイでも
そのままの自分を認めてほしかった。

最初はただの記録だった。
感情のはけ口だった。

でも分かってほしかった。

たぶん。

それでもいいんだよって。

それを自分の…
なんていうのかな。
自信というかアイデンティティの保身とか
なんか
自分のために
利用されたことが、
許せないんだと思う。

守りたいのは自分で。
自分だけで。

本音がだだ漏れる人は楽だ。
悪意も善意も偽善もだだ漏れ。

でも悪意は嫌い。

漏れてるなら避けられる。

不意に悪意に触れることは危険。

善意も嫌い。

避ければいい。

悪意と善意の間にある
個人的発信。
興味のあるもの。

それだけでいい。

人の闇は心地いい。

善意は優しいからこそ怖い。

闇のある人間は嫌いじゃない。

人を傷つけるのは嫌い。

自分の闇を振りかざして
傷つける人は嫌い。

闇に惑いながらも足掻く人が好き。

攻撃的なようで特に誰かを
傷つけようとしているわけでもない。
そういう人がいい。

皆に平等に優しいなんて怖い。
好きだし大切だから優しくする。

子どもも大切にする。
老人にも優しくする。

でも間の自分勝手な人なんて
大切にする必要はない。

自分の身を自分で守れる人に
助けはいらない。

困ったなら助ける。

いらないなら無闇に助けない。

誰にでも優しいわけじゃない。

手の届くところにいるから。

何が言いたいんだろうね。

昨日のは夢か現実か分からない。
記事だって書いた覚えない。

追記は夢。
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