かゆ



うま





どうも、ハウリルです。





人間心理を組み立てていくと、自分の内に作り上げる個と、外で積み上げられる多がある。

外に積み上げられる多は、他との関係や干渉によるものであり、最悪、個である己の意思や意識とは関係なく形成されてしまう事がある。

己と他、個と多のコミュニケーションを円滑に行う事に、人間は神経を擦り減らす。
他の数が多ければ多いほど、その摩耗は激しいだろう。

故に個は、多の中で輪を作る。
輪は和であり、安心できる円である。
その中でも多少の摩擦・摩耗はあるが、見ず知らずの不特定多数よりかは程度が少ない。
言いかえるなら、『友達・仲間』という関係であろう。

その中で、人は多を築く。


それとは別に、人は個であり、己を持つ。
己とは自分の性質や性格、意識、感情であると言え、それは個である本人が自分の内にて作り上げた物である。

個は、多の中で己を安定させたがる。それと同時に、多の中で己を主張したがる。
流行を追うという行為を思い浮かべていただきたい。
最近溢れている多と同化をするくせに、その中で他とは違う個を主張する。髪型、ファッション、持ち物、趣味、言語など。似たり寄ったりの個性が溢れているであろう。
当然、興味の有無による個人差はあるのだが。


そのせいで、己は揺るぐ。
多が行うことに同調し、個は己を無くす。
それでも、本人の意志によって行われている行為なので、己ではあるかもしれない。

しかし、多によって麻痺をしてしまうのだ。

多が行う行為ならば、自分も行って大丈夫なのだと勘違いをしてしまうのだ。


結果、間違った多は増殖・増長をしてしまうのだ。


それを防ぐのはやはり、己の個としての意識だろう。
多の中であっても、個としての意識を持ち、正しい判断を行う事が必要なのである。


正しい多が増殖する事は喜ばしい事である。
しかし人間は、良心よりも欲求を優先させてしまうものだ。
小さな事だとしても、塵も積もれば山となるように、大きな事になってしまう。

そうなる前に、少し自分の生活を見直してみるのもよいのではないだろうか。





そんな事は関係なく、私は風上で歩きタバコをされたらイラッとするね。
目の前で横に広がられて進路妨害されたら、階段だろうとどこだろうと、とりあえず突き飛ばしたくなる。


雨の日は、傘で人の行き交う道を歩くのは、やっぱりいい気分はしないね。



やはり論文を書ける気がしない。orz
論点をちゃんと定めても、方向性がズレていくのは何故だ!?
バンドなら解散してしまうぞ!?(違)

いたって適当に書きなぐっているので、あまり本気にされないように。

失礼しました。m(__)m


誰か添削してくれ。(・ω・`)