にほんのみらいはあかるい。
こどもと話すのはとてもたのしい。
ちいさいこどもはみてるだけで癒されるけれど、今日は中学生のこどもと話したこと。
中学生と共通する会話など、ナイw
アイドルなんてわからんし、スポーツなんてみるのもするのもダメ。
で、テストゲームてゆーのをやってみた(勝手にワタクシがつけた名前)。
なんせ、テストにでそーな題材で連想するゲーム。
実際の会話。
「 みず」「えいちつーおー」
「きんかくじ 」「あしかが」
「まさおかしき」「ほうりゅうじ」
なるほどなるほど、ワタクシのばんデスネー
じゃあ、よさのあきこ
「きみしにたまふことなかれ」
え?
「しらん?ああ、おとうとよ、きみしにたまふことなかれ」
いやいや、しってるけど。。。そーくるとおもわんかった 、短歌とか、清水寺とかゆーのかとおもったから、
「えーナニソレ」
きよみずへ
ぎおんをよぎる
さくらづきよ
こよひあふひと
みなうつくしき
「あー、あったかも」
流れてきにそかな、とおもてんけど
「んーしにたまふこと、のほーが有名ちゃう?」
それ、ぜんぶゆえるん?
「なんとなーく、おぼえてるかも?」
そなのかー感動しちゃったぜー
「ナニソレー笑」
中学生が。。。泣
すばらし
戦争をしらないこどもたちが、
わたしはむかしからおとうさんがだいきらいだ。
おとうさんはいるけれど、ぜんぜん帰ってこない、そんな家だった。
おとうさんがいない家は安定していた。
うるさいこどもたち、わたしたちを叱るおかあさん、それをあまやかすおばあちゃん、きむずかしくすわっているおじいちゃん、いつもの光景だった。
でも、おとうさんが帰ってくると、家の中がいやなかんじになる、とこどもの頃からおもっていた。
おかあさんはやさしくなるし、おばあちゃんはこどもよりおとうさんのゴキゲンをうかがう。
おじいちゃんはいたって無口、しかし部屋からでてこなくなる。
そんな家の空気がだいきらいだ。
おとうさんがきらいな理由ならいっぱいある。
まず、うそつき。
こどものめんどうはみといてやるから、たまにはいきぬきしてこい、とおかあさんや年寄りを追い出す。
そのあと数分後に大人たちの気配が消えたら、わたしたちをおいて自分も外出するのだ。
5歳に満たないわたしはおとうとたちの、特にいちばん下のおとうとはあかちゃんなのでミルクからおむつまで面倒をみることになる、一晩中だ。
おなかがすいたらトーストか、たまごかけごはんをたべた。
翌日にかえってきた大人たちはそのあとに後悔してる、けれどそんなことが何度あったか知れない。
おとなたちのまえではおとうさんはかっこいいことをいう。
ゆうえんちにつれていってやる、おんせんにいこう。
そのすべてが、はたされたことはいまだ、ない。
ちいさい頃からそんなふうなので、わたしは1ミリも期待していないけれど、おかあさんやおばあちゃんはちがう。
「あのひとはやさしいひと」おあかあさんはいう。
「まあちゃんはやさしいんや」おばあちゃんはいう。
おじいちゃんはいつも、なにもいわない。
そうしてなんどもだまされるのだ。
そのときはわからなかったけれど、オトナになったわたしはわかった。
おとうさんはオカネをとりにかえってきていたのだ。
だから、みんなをおいだして、こどもをおきざりにして、でかけてしまうのだ。
わたしがおもうことは。
やさしいて、いちえんのとくにもならへんのや。
5歳にして人生を悟っていたとおもう。
そんなことをおもいだした、日曜日。
そんなどうしようもないおとうさんをかかえて三人のこどもを私学にだしてくれたおかあさんに感謝する。
おとうさんがだいきらいだ。
先日、武庫川大橋をバイクで通った。
「この長ーい長い下り坂をーきみを自転車の後ろに乗せてー」
ときこえてきそなサワヤカな日だった。
バイクだし、ましてや自転車はBMXなワタクシには無縁な曲だw
女子校生のとき、ほとんどの学生は電車通学だった。
そんななかで、かよちゃんとさっちゃんは自転車通学だった。
ふたりは尼崎から通学していた。
なんで電車つかわんの?
「チャリのほが速いやん」
尼崎というと土地は平坦で坂があまりなく、自転車利用には便利なところらしい。
オトナになって知り合ったたかちゃんやゆきりんも自転車を通学、通勤に使っていた。
ふたりとあそぶとき、わたしはどちらかのうしろにのせてもらった。
荷台にすわることもあったし、ステップに立つときもあった。
西宮から尼崎に渡るときの橋、ほんのひとときであったけれど、しかもわたしを乗せてお荷物であったであろうふたりにはなんの感謝もなく、ほんとうにきもちいいサワヤカだった。
邦楽はあんまり得意ではないし、ましてや女子の自転車のうしろだったけれど、この曲はあのときのわたしにはぴったりだったとおもう。
こどものころのキレーなおもいでのひとつ。
夢でジェニーに会った
ジェニーは生物的にはわんこだけど、わたしのいちばんの家族だし、数年前に老衰で亡くなった
そのときのわたしはジェニーが永遠のいきものだとおもっていたけれど、ほんとうにいきものの命のとおり、老衰で亡くなった
わたしはニンゲンで夢をみることができてよかった
ジェニーはまっすぐ、ゆっくりわたしのほうに歩いてきて、わたしが「だいじょうぶ?」ときいても答えず(あたりまえなんだけどw)、
近くまでくるまえに目覚めてしまった
あのやわらかくてあたたかい毛並みにもういちどふれたかったなー
おばあちゃんが大事にしてるキンモクセイがありました。
わたしがこどものころ。
いい思い出もわるい思い出もあります。
どちらかというと、わるい思い出のほうがおおいかもしれません。
キンモクセイのはなが咲く頃、だいたいわたしはぜんそく発作をおこしました。
とても息がくるしくて寝ることも叶わず、ずっとすわって過ごしていたとおもいます。
そんな状態のときに四六時中、あのキンモクセイのにおいが部屋中にたまるのです。
コレハナニカノノロイだとさえおもえました。
まよなかになるとどんどんくるしくなって、それでなくてもねむくって、くるしい感覚がにぶくなることがありました。
そんな折、だいたい目の前の景色がぼんやりオレンジ色になりました。
キンモクセイだ、とおもっていました。
ちょっと肌寒い、天気もわたしも元気な日は、だいたいおばあちゃんのお手伝いでにわそうじをさせられます。
決まっておとうとたちは野球をしにでかけていて、だいたいわたしにはなんの用事もないのです。
庭にはオレンジのカーペットを敷いたようにキンモクセイのはなびらが散っていてます。
木の下のはなびらをほうきで掃くと土とまじってきたなくなります。
それでもテキトーにまとめておけばそこはなんとかなります。
問題は、道路に風でふきとばされたはなびらです。
このはなびらはアスファルトのめにはまりこんでそうじしにくいのです。
ああ、まだとれないとおもうと永遠にこのそうじをさせられるのではないかと、きがとおくなったものです。
あれもこれもこどものころのおもいでで、いまはなつかしいものです。
あのキンモクセイはどうなったかしら?
震災のときに剪定されてしまったかしら?
ああ、でもいま香るキンモクセイはほんとうになつかしい。
わたしのこどものころのおもいでです。