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おとうさんがきらい

わたしはむかしからおとうさんがだいきらいだ。

おとうさんはいるけれど、ぜんぜん帰ってこない、そんな家だった。
おとうさんがいない家は安定していた。
うるさいこどもたち、わたしたちを叱るおかあさん、それをあまやかすおばあちゃん、きむずかしくすわっているおじいちゃん、いつもの光景だった。 
でも、おとうさんが帰ってくると、家の中がいやなかんじになる、とこどもの頃からおもっていた。
おかあさんはやさしくなるし、おばあちゃんはこどもよりおとうさんのゴキゲンをうかがう。
おじいちゃんはいたって無口、しかし部屋からでてこなくなる。
そんな家の空気がだいきらいだ。

おとうさんがきらいな理由ならいっぱいある。
まず、うそつき。
こどものめんどうはみといてやるから、たまにはいきぬきしてこい、とおかあさんや年寄りを追い出す。
そのあと数分後に大人たちの気配が消えたら、わたしたちをおいて自分も外出するのだ。
5歳に満たないわたしはおとうとたちの、特にいちばん下のおとうとはあかちゃんなのでミルクからおむつまで面倒をみることになる、一晩中だ。
おなかがすいたらトーストか、たまごかけごはんをたべた。
翌日にかえってきた大人たちはそのあとに後悔してる、けれどそんなことが何度あったか知れない。

おとなたちのまえではおとうさんはかっこいいことをいう。
ゆうえんちにつれていってやる、おんせんにいこう。
そのすべてが、はたされたことはいまだ、ない。
ちいさい頃からそんなふうなので、わたしは1ミリも期待していないけれど、おかあさんやおばあちゃんはちがう。
「あのひとはやさしいひと」おあかあさんはいう。
「まあちゃんはやさしいんや」おばあちゃんはいう。
おじいちゃんはいつも、なにもいわない。
そうしてなんどもだまされるのだ。
そのときはわからなかったけれど、オトナになったわたしはわかった。
おとうさんはオカネをとりにかえってきていたのだ。
だから、みんなをおいだして、こどもをおきざりにして、でかけてしまうのだ。
わたしがおもうことは。

やさしいて、いちえんのとくにもならへんのや。

5歳にして人生を悟っていたとおもう。
そんなことをおもいだした、日曜日。

そんなどうしようもないおとうさんをかかえて三人のこどもを私学にだしてくれたおかあさんに感謝する。
おとうさんがだいきらいだ。

うみのむこう

臆すな者ども、これが門跡に馳走する最後の好機と心得よ」

和田竜
「村上海賊の娘」

ひのとり

みやざきの道の駅フェニックスにいってきたー
ぜっけいかな、ぜっけいかな

おきにいりのおいもやさんにも連日いったし
おやすみをまんきつ!!!
これは。。。世にゆーリア充やな

むこがわおおはし

先日、武庫川大橋をバイクで通った。
「この長ーい長い下り坂をーきみを自転車の後ろに乗せてー」
ときこえてきそなサワヤカな日だった。
バイクだし、ましてや自転車はBMXなワタクシには無縁な曲だw

女子校生のとき、ほとんどの学生は電車通学だった。
そんななかで、かよちゃんとさっちゃんは自転車通学だった。
ふたりは尼崎から通学していた。

なんで電車つかわんの?
「チャリのほが速いやん」

尼崎というと土地は平坦で坂があまりなく、自転車利用には便利なところらしい。
オトナになって知り合ったたかちゃんやゆきりんも自転車を通学、通勤に使っていた。

ふたりとあそぶとき、わたしはどちらかのうしろにのせてもらった。
荷台にすわることもあったし、ステップに立つときもあった。
西宮から尼崎に渡るときの橋、ほんのひとときであったけれど、しかもわたしを乗せてお荷物であったであろうふたりにはなんの感謝もなく、ほんとうにきもちいいサワヤカだった。

邦楽はあんまり得意ではないし、ましてや女子の自転車のうしろだったけれど、この曲はあのときのわたしにはぴったりだったとおもう。
こどものころのキレーなおもいでのひとつ。
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