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しゅりょう

猟師さんのワンコ
甲斐犬のような虎毛がみえるけど。。。
雑種なんだって

それにしても見事な筋肉!!!
イノシシやシカを追うのに連れてくらしー
。。。ホレタ

あの声を

「わたしは夏目漱石の生まれ変わりだ」なんて話があった。
さて、それが本当にしろ、そうでないにしろ、告白された方はなんて言ったらいいものか。
すごいね
それしか浮かばない。
わたしのボキャブラリーが少ないという事実は全くそのとおりで、その感動の薄さは表情にも現れるに違いない。
たとえそれが、ブッダだろうがアインシュタインだろうがわたしにとっては同じことなのだ。
いま、わたしが出会えたあなたがアナタでしかナイってリアルが本当なのだ。
逆にわたしの前世がマザー・テレサだろうがジャンヌ・ダルクだろうが、あなたになんの変わりがあろうか。
わたしが世紀の偉人だったとして、わたしはやっぱり、こうやってあなたのリアルだし、やっぱりただのイチ社会人でしかない。

小さい頃、弟の声がよくきこえた。
イチバン下の弟はあかちゃんのころからよくしゃべった。
あかちゃんだったせいか、とても原始的な訴えしかしてこなくって、たとえば「おしっこ」だとか「おっぱい」だとか。
それはニホンゴでもガイコクゴでもなくって、ただただ訴えてくる一方通行の言語で、わたしになにをしろというものでもなかった。
べつにわたしもそれにたいして弟になにかを返事したわけではないし、会話なんてしていない。
きまぐれに母に「あかちゃんがおしっこだって」と言った。
おもしろかったのは、おむつをあけたとたん弟が噴水のようにおしっこをした。 
いたずらな気持とかまってもらえない思いをもって、何回かそんなことをしたとおもう。
弟は「おしっこがでた」と言ったわけではなかった。
ただ、「おしっこ」というワカラナイ語を周囲に霧散していたのだとおもう。

このコトバがわかってしまうのにはデメリットの方がおおかった。
「おっぱい」
弟がこのコトバをはっしだすとそれはもう時限爆弾とかわらない。
いつ泣き出すかわからない状態になったことを意味するからだ。
わたしとしては泣き出す前に処理したいのだ。
彼が泣き出すと、わたしのイライラが止まらなくなるからだ。
そしてわたしのイライラは母のゲンコツという意味をもつ。
母はわたしが「おりこうさん」でないとおこりだすからだ。
5歳のわたしに「おりこうさん」を要求するなんて、なんてムリな注文を彼女はしていたのだろう、いまではそうおもうけれど、真ん中の弟とあかちゃんを抱えた母がそうおもうのは仕方のなかったことなのかもしれない。
この「おっぱい」宣言がはじまったときが外出先やお留守番だったときは、とくに地獄をみる。
とうの「おっぱい」がないからだ。
わたしはひたすら弟のあしうらをなでてやったり、だっこしたり、あやしたり。
母はのんきに「おねえちゃんが面倒をみてくれている」とわらっていたけれど、もう事件は起こる直前なのだ。
お留守番の場合はゲンブツがないのでひたすら途方に暮れるしかない。
外出先だった場合は、これまたややこしい。
母に「おっぱい」と訴えることもできるけれど「こんなところでなにいってるの!」と叱られるケースがある。
それでなくてもあわてて前後の言葉が伝わらなくて、わたしがほしいとカンチガイされたこともある。
そして母には弟の地雷のようなこえがきこえないのだ。
バクハツしないとわからない、とキタ。
さて、バクハツしてしまうと母もさすがに気付くのであわててクルマか家に帰る。
年子の弟の手をひいて急いであるく母の後ろ姿を何度も追った。
あの頃には手近に授乳室なるモノが全然なかった。

弟が粉ミルクを飲めるようになると、そんな不安もなくなった。
その頃にはわたしもおむつ交換をマスターしていて、幼児にしてはスバラシイ主婦っぷりを発揮していたとおもう。
そして、弟の声がきこえるのはもしかして、トクベツなことではないのだろうかともおもった。
わたしはトクベツなのだ。
だからわたしは弟の面倒をみなければならないのだ、とおもいこむようになった。
弟がニホンゴをしゃべるようになると、あのコトバはきかなくなった。
そしていつしか、わたしがトクベツだったことも忘れた。

学生になって、ひさしくきかなかったアノコトバをきいた。
「おしっこ」
ちょっとおどろいた。
それ言ったのはイヌだった。
それまでにもイヌはいっぱいみたし、イヌどころかネコもイノシシもいる、カラスもいる。
友人がひろってきた野良犬でとてもひとなつきがいいので、たぶん飼われていたのだろう。
友人はジェニーと名付けていた。
だれも引き取り手がなくて困っているというので、連れて帰った。
もちろん、家族の承諾なんかナイ。


うた

じぶんのこころをまもるために、
他人をきずつけていいなんてことがあるのだろうか?

うた

だれにたいしても望むことだけど、
わたしはわたしを大切に扱ってほしいのだ

しふく

どくしょちゅーどく、やってます
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