書く時間があるときに限ってなにも浮かばないのに、時間が切羽詰まっているときに限って言葉があふれでてくる。
あるいは、書くことができないときに限って言葉が浮かんできて、きっとあとで文字にしようと思っていても、やっぱり書ける時間にはすっかり忘れてしまっている。
とりあえずPCに向ってみて、しごとではないわたしの時間を使ってみようと思う。
事件だ。
数年前に幼稚園に関わることがあった。
前は保育園でしごとをしたけれど、幼稚園と保育園では全然違うことがよくわかった。
それはともかく、今回書きたいのは幼稚園でのこと。
年中クラスにちょっとかわったコがいた。
みためはふつう、銀行員の息子さんでカネモなのはみただけでわかるコだった。
幼稚園自体がお受験幼稚園だったので、裕福なこどもばかりだった。
ボンボンだからという理由でかわっているなと思ったのではなくて、ナニカちがう空気を彼は持っていた。
コウちゃん、彼の名前。
彼はこどもにありがちな「かまってちゃん」もあって、大変ないたずら好きだった。
クラスメイトのうわぐつや椅子を隠したり、でんぷんのりを食べたり、人口芝を食べたり。
わたしが実際に見たわけではないけれど、クラスのこどもたちはしょっちゅうそういうことを教えてくれた。
からだの小さいコや女の子は彼のかっこうの餌食らしく、自分と同じようにのりを食べろと強要されたこともあるらしい。
わたしは注意して彼を観察するけれど、大人の見てる前では全くそんな素振りはない。
かわっているな、と思ったのはそういうトコロではなくて、コトバに対する反応だった。
どうして、という追求がハンパないのだ。
わりにほかのこどもたちにもあることなのだけど、彼の場合、彼の期待する答えが帰ってこない場合のキレかたがすごかった。
たとえば「おなかがすいた」
まだごはんの時間じゃないから待ってね、と答えるとどうして、どうして、となる。
みんなで食べましょうね、と返してみてもどうして、どうして、となる。
そしてとても怒りだすのだ。
彼にはどうして自分の空腹に時間が関与するのか、周囲の人間と一緒に食べる必要があるのかわからないようだった。
社会性、といえばそれまでなのだろうけど、その点にこだわる幼稚園児はそうそういない。
おなかがすいたことで泣き出してしまうとか、理由はともかくダメなんだとおもってるうちに違うものに興味がでてしまうとか、そういうのがよくあるこどもの反応だった。
保育時間が終わって、帰宅。
「おかえり」の時間になって気付いたことがあった。
おとこのこのひとりが元気がない。
特別に、というわけではなかったけれど幼稚園教諭ではないわたしにはそういう忙しい時間にも余裕があったので話をきいてみた。
どした?なんかあった?
「うん、コウちゃんがこわい」
なんや、イタズラされたん?今度はうわばきか?椅子隠されたん?
「ちゃう、コウちゃんがミイたんのな、べろ切ろうとしてん」
は?
「ミイたんのな、おくちのなかにハサミいれてん」
ナニソレ、もうちょいくわしくはなしいや
わたしはその話の先が聞きたかったけれど、そのコはカタマってしまってもうしゃべらなかった。
おんなのこたちに聞くとめちゃくちゃリアルにその現状を教えてくれた。
その日、工作の時間があって、全員にハサミがくばられたそうだ。
画用紙を切っている最中に先生が席をはずしたときに事件はあったらしい。
先生がすぐに戻ってきたので実際にはケガはなかったということだった。
数人のコがおなじようなことをくちぐちにいうのでウソではないようだ。
わたしはトリハダがたった。
もちろん、先生に報告した。
わたしは報告したけれど、教諭ではないのでこの事件の解決はウワサでしか知らない。
その後に関してはこどもたちより保護者たちがよく知っていて聞かせてくれた。
両方のご両親が呼ばれて話し合いになったそうだ。
コウちゃんの親御さんはイタズラの範疇だといって譲らなかったそうだ。
謝罪があるとおもって幼稚園にきたミイたんの親御さんにしたらさぞ驚いたことだろう。
ギモンとして残ったのは。。。
さて幼稚園児には「ハサミが切れるものだ」と理解することができなかったのだろうか?
彼は割り算ができる、といっておかあさまは自慢するほど賢いコだった。
それともハサミでニンゲンを切れば血がでてケガをするということが想像できなかったのだろうか?
自分でも転倒してひざをすりむいたことぐらいはあったろうに。
そのあと、小学生になった彼らがどうなったかはしらない。