スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

カッコウは郭公と書きます


話題:最近買った漫画

自分の卵を他の鳥の巣に産みつけ、托卵することで有名な
『カッコウ』 『郭公』 と書くのですね。



世界史上 悪名高い(?)女性は数多いれど、まさかの托卵疑惑。(たぶんこの漫画の中だけだろうけど)

いやいや、日本史上にも托卵疑惑はありますがね。

豊臣とか豊臣とか豊臣とか…

スレイマン1世とヒュッレムの間には、以下の6人の子供が産まれるのですが…、

メフメト(1521年 - 1543年)
ミフリマー(1522年 - 1578年) - 大宰相リュステム・パシャと結婚
セリム2世(1524年 - 1574年)
バヤズィト(1525年 - 1561年)
ジハンギル(1531年 - 1553年)

スレイマン1世の年表を合わせるとどうなるのか、興味が湧きますよね?

《スレイマン1世 年表》
1494年11月6日 - 誕生
1520年 - 即位
1521年 - ベオグラードを占領
1522年 - ロードス島を占領(ロードス包囲戦)
1526年 - モハーチの戦いに勝利。ハンガリー中央部を平定。
1529年 - 第一次ウィーン包囲
1533年 - 海賊バルバロス・ハイレッディンが帰順。彼を海軍提督=パシャに。
1534年 - バグダードを占領。イラクとアゼルバイジャンの大半を支配下に。
1538年 - プレヴェザの海戦に勝利。地中海の制海権を掌握。
1543年 - フランス艦隊と共同でニースを攻略(Wikipediaより抜粋)


やはり戦争の合間に、しっかり子作りしてますよね。

オスマン・トルコ帝国は、ヨーロッパの貴族や後のルイ14世の宮廷と違って女性連れで戦争なんてしないだろうから、後宮の女性たちはずう〜っとお留守番なのだろうけど。

今回 出版された第5巻ではロードス島包囲戦の最中ですが、年表では第ニ子が産まれた年廻り。
もっとも、第一子・第二子の順番や1、2年の誤差は想定の範囲内な訳です。
産まれた年数なんて、曖昧な物。

歴史書書いている人の多くは、男性に違いないと思う所以でもあります。

世嗣がいることが大切なのであって、産む側の人間に対してあまり配慮しないのは外国も日本も変わらないようです。


さて、後に海賊バルバロッサ・ハイレッディンを海軍提督に迎えてのプレヴェザの海戦で、地中海の制海権を握ったりと無双状態のスレイマン大帝。

見ている限りでは、胸がすくような気もします。

でもね、イェニチェリの弱体化に関しては、どうしても許せなくて。

2014年冬には早や6巻が出るらしいので、これからヒュッレムとイブラヒムの間がどうなって行くのか興味が尽きません。






下記は西欧視点のBLですけどね…


視点を変えることで、歴史は深みを増すと思います。

現在に暮らす自分たちには考えられない常識と死と隣り合わせな世界

その時代の感覚を味わう追体験・臨場感にワクワクするのが、歴史小説や世界史を読む愉しみだと思っています。



←prev next→
カレンダー
<< 2014年09月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30