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鰹の叩き

話題:夜ごはん

日頃、あっさりと流してみたいブログ更新


昨日は、思いきり書きなぐってしまいました



今日は、「今夜の夜ごはん」です


ちなみにこの鰹の叩き、

ニュートーキヨー庄屋(代々木店)製
この他に写真を撮り損ないましたが
鰹の握り寿司3貫もいただきました



しばし寝る前の時間旅行

話題:今日1日のまとめ。

朝 5時30分という、半端な時間に目覚めたので、

身上を潰した小原庄助さん気取りで朝風呂
さすがに朝酒はできないけど……

あ、朝風呂時にレオンがお風呂にお湯を飲みに

来るのは、いつものこと
朝ごはん前にサラに抗生物質を飲ませ

朝ごはん後に、3人目のアイルー、

コキュートス村のルシファーで遊び、
某大型掲示板を覗く


昼ごはんの後

これから書くものとほとんど関係ないけど
10月中旬に入手した「十字軍物語 1」を開く……




未だ中央集権ではない、11世紀西欧社会。

王より資金も兵力も持っている諸侯たち。
法王と仲の悪い神聖ローマ帝国皇帝
法王に破門されたフランス王

見ているだけで、もう凄い状態で、
呆れてしまう。
でも、諸侯たちより先にイェルサレムを
目指したのは「貧者たちの十字軍」と言われた集団。

フランス人修道僧ピエールに導かれた
下層民たちだった、と。
修道僧ピエールの聖地奪還のことばに
感銘を受けたのは確かだろうけど、
下層民たちは苛酷な日常生活からの逃亡だったから、

十字軍参加の許可を教区司祭に受けないで
着の身着のままの男女、子供までが
イェルサレムを目指したというのだから、
日常生活の悲惨さが想像できるというもの。

当然 軍装も糧食も何もない状態での行軍。


ヨーロッパ国内では、途中に住む人々の

好意にすがれたようだけど
神聖ローマ帝国内では、ユダヤ教徒を襲い
ハンガリー王国内では、同じキリスト教徒を襲い
糧食の「現地調達」住民への「暴行」を
行いつつ最終的には、ビザンチン帝国首都
コンスタンティノーブルにたどり着いたのだから、
そこは正直 驚嘆した。

人的犠牲には、無関心な烏合の集の

参加人数の総数は、わかっていなくて
五万〜十万と言われている。
コンスタンティノープルにたどり着いた
人数さえもよくわかっていないというのだから、
現代人の我々から見ると、凄く高い金額
(=生命)のかかった遠足としか思えない…orz


まだまだ、ビックリするような事実は

続くのだろうけど、今日はここまで……



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