『生きる』って何か?
あたしはあの日以来ずっと考えてきた。
あたしは今、本当に生きてるのか?
何ヶ月か考えてだした答え。
『他人の中に自分の存在が色濃くあること』
皆に忘れられてしまう事が死を意味する。
植物人間でも、この世に肉体がない人であっても、だれかがその人を忘れなければ存在し、生き続ける。
よく「あの人はあたしの心の中で生きてるんだ」って言うよね。
その時、いつ死ぬか分からないおじいちゃんがいた。あたしはおじいちゃんが死ぬことが怖かったのかもしれない。誰も死んで欲しくなかった。
例え、受け入れがたい現実をなんとか受け入れて前を向こうとするために、自分に言い聞かせている言葉だと なんとなく分かっていても。
今。
てか、今日。答えは変わった。
あんなに死にたいと言っていたけど、本当は死にたくないんだって実感した。
本当に死んでしまうかもしれないって思ったから、死にたくないんだって思ったから薬がトラウマになった。
自分がこんなにも この世界に執着してるなんて驚いたし、ぶざまだし、惨めだし、ダサい。
でも死にたいんじゃなくて、生きたいけど生きにくいだけなんだって分かった。
『次の瞬間もここに存在していたいと願うことが生だ』
って思った。
だけど、今、ここに存在していなければ次の瞬間はない。
自分すら受け入れられないあたしは、今、自分がここに存在しているということが受け入れられない。認められない。
自分で認められないあたしは、不安定だ。
だからこそ、構って、あたしを見てって叫びたいんだ。
自分じゃどうしようもないから、誰かがあたしを見て、肯定してくれることで存在を確かめようとする。
赤い痛みが、存在であることを願う。
誰かの中でしか、自分の存在を認められないあたしは不安定で、いつ消えてしまうか怖くて。
これらは ただの自分だけの答えであって、まだまだ未完成で未熟で浅い。
だけど、未熟な親も、じたばたあがいてる妹も、信じることのできない人間も、ぶざまでみっともなくてリスカをしちゃうようなどうしようもない自分も、許して、受け入れられたとき、あたしは生きられるのかもしれない。
今は死んでいるのかもしれないけど、生き返るのだって有りだよ、って笑えるのかもしれない。