1匹の猫がいました。
白と茶色のしましまで、仲間にはシマと呼ばれていました。

シマは片想いしていました。

綺麗な門構えをした家の横側、2階の窓辺に座っていつも遠くを見つめているメスの黒猫。

美しい顔立ちは、見ているだけでシマの頬が染まるほどでした。

仲間うちでもちょっとした噂がありました。窓辺に佇む美しいメスがいると。

シマは黒猫に恋をしていたのです。
しかし、届く事のない想い。

小綺麗な白く高い壁は、岸壁のようにシマの前に立ちはだかり、シマにはどうすることもできません。

シマは毎日のようにその家に通うのです。
黒猫の遠くを見つめる澄んだ蒼い瞳をのぞくことが習慣でした。
その瞳はシマを捕らえる事はありませんでした。
気を引こうと鳴き声をあげるような、下卑たまねもしませんでした。
みつめるだけで、満足だったのです。

例えそれが叶わぬ恋でも。


ある日、いつものように窓辺を覗くと、黒猫はいませんでした。

シマは少し動揺しました。

でも、猫は気まぐれな生き物。
窓辺に座る気にならない時もあるのだろうとシマは思いました。

案の定、次の日には黒猫はいつものように窓辺にいたのです。

シマはホッとしました。

しかし、黒猫が姿を見せない日が少しずつ増えていきました。

シマは、気が気でありませんでした。
どうしたのだろう、何かあったのだろうか、と考えましたが、尋ねることはできません。

ただ、長い時間、誰もいない窓を見つめるしかないのです。


黒猫がほとんど姿を見せなくなったある日、シマがいつものように見ていると蒼い瞳と視線があいました。

シマは驚いて走り去りました。

絶対に届かない存在は、シマに気づいたのです。

シマは何となく行きづらくなってしばらくその家に近づきませんでした。

シマは勇気を出して、窓の下へ行きました。

ねぇ。

あろうことか黒猫が声を出したのです。
窓ごしの小さな声でしたが、ガラスのように澄んで、穏やかな気持ちになるような、そんな声でした。

シマが何も言えないでいると、黒猫は続けました。

外の世界はどんなものかしら。

シマはおどおどと答えました。

生きていくには大変だけど、仲間がいて、遊び場があって、自分はそれに満足しているのだと。

黒猫は微笑んだきり、何も言いませんでした。

それから、黒猫はシマが来る度に、シマに外の世界について尋ねました。

シマは昨日あったでき事や、外での生き方などを少しずつ話しました。

黒猫が微笑むと会話は終わります。
短い、短い時間です。

シマはそれでも幸せでした。
幸せは怖いものでした。

いつか壊れるものと知っていたからです。

シマがいつものように話し終えると、黒猫は言いました。

私も外へ行ってみたかったわ。
ありがとう。

シマは軽く頷くといつもの寝ぐらへと帰って行きました。

次の日、窓辺に黒猫はいませんでした。

少女の泣き声が聞こえました。

シマはそっと門の中を覗きました。

少女はあの黒猫を大切そうに抱いて泣いていました。

シマはなにもできませんでした。

涙もでませんでした。

もう一度、窓の下へと歩きました。
やはり黒猫はいません。

黒猫の遠くを見つめる瞳は、外への憧れだったのだと気づきました。

黒猫にとって、シマがそうだったように、シマは憧れだったのです。

一筋の涙が流れました。

残酷にも、初めての外の世界は二度と目覚める事のない、深い眠りに落ちた時だったのです。

その瞳に、庭に咲く華やかな草花が映る事はありませんでした。

シマが次の日、重い足どりで門をくぐると小さな新しい土の小山ができていました。

おそらく、彼女はこの場所に眠っているのでしょう。

陽の降りさそぐ暖かな土に包まれて。

その場所には少女が供えただろう花が添えてありました。

シマは日の陰り始めた頃、庭で白い花を見つけました。

1りん手折って、少女の添えた花の端にそっと置きました。

月見草でした。

彼女は自由になったのです。

その後、シマの姿を見る者はいませんでした。

シマが知っていたように、幸せは壊れてしまったのです。

儚く、美しく。