<梗概>
若槻慎二は、生命保険会社の京都支社で保険金の支払い査定に忙殺されていた。
ある日、顧客の家に呼び出され、期せずして子供の首吊り死体の第一発見者になってしまう。
ほどなく死亡保険が請求されるが、顧客の不審な態度から他殺を確信していた若槻は、独自に調査に乗り出す。信じられない悪夢が待ち受けていることも知らずに……。
恐怖の連続、桁外れのサスペンス。読者を未だ曾てない戦慄の境地へと導く衝撃のノンストップ長編。
第4回日本ホラー小説大賞大賞受賞作。
圧倒的な恐怖、不快感。
この本の読了感を簡潔に云い表すならば、これに尽きるのではないでしょうか。
最近、貴志祐介先生の著作を細々と読み出し、これが3作目なのですがこの方は兎に角“人間の怖さ”を書くのに突出しておられるように思います。
これを新人が書いたのかと思うと圧倒されると同時に、もっともっとこの人の作品は評価されていいのではないかと思いました。
著者自身が生命保険会社に勤めていたからか、生命保険に纏わるトラブルや犯罪の描写が細部に至るまでリアル。
そして事件の展開。
当初疑っていた人ではない、別の人が犯人で、しかもサイコパス(作中でも議論されており、そう決めつけてしまうのは危険な気がしますが、便宜上こう記します)。
生まれつき邪悪な人間(犯罪者)はおらず、劣悪な環境と幼児期に受ける精神的外傷こそが犯罪を生み出す温床であり、人間にレッテルを貼るのは間違いであるというのが、本書で主人公が最後に信じたいと思っていた考え方です。
それについて議論をするつもりはありませんし、概ねその通りだと思います。
しかし、作中の犯人のような人間がいることは間違いなく、そしてそれらとの何らかの衝突があるのは間違いないでしょう。
著者はこの作品の13年後に、今度は所謂“サイコパス”のレッテルを貼られている側、新人類側である人物を主人公に据えた『悪の教典』を上梓しています。
慥かに『悪の教典』の主人公も生まれついての犯罪者ではないですが、他人との共感性の欠如がそもそもの出発点でした。
蓮実聖司にしろ『黒い家』の犯人にしろ、生まれつきの犯罪者ではなく本人を取り巻く環境と幼少期の経験が犯罪者に至らしめたことは間違いありません。
しかし、蓮実聖司に関していえば、疑問が残るのは否定出来ません。
そうしてパターンを変えた“サイコパス”と呼ばれている人物を描く貴志祐介先生の筆力には脱帽です。
一番怖いのは幽霊でも妖怪でもなく、殺意を持って包丁を握り襲いかかってくる生きた人間である。
そしてそうした人間(=“サイコパス”と呼ばれる人たち)を作り出しているのもまた人間である。
きっとこの作品で提起されているのはこの二点なのではないでしょうか。
そうした“人間の怖さ”を描いたこの作品は、間違いなく“ホラー”であるといえるでしょう。(“ホラー”と聞いて思い浮かべるものとは一線を画しているかもしれませんが)