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夜べ

話題:ひとりごと
姉とうちの家族について話した。
姉が風呂に入っている間に、洗い物してたら母がなぜか怒り出して食器を荒っぽく洗って投げながら独り言を言い私に八つ当たりしてきた。私には愚痴を言いながら八つ当たりできるのに、姉が来ると愚痴の八つ当たりをしなくなる母。

母が寝たから、姉と、子供時代がどうだったか話し合った。

母が理不尽に、子供を怒った話とか、家庭内の不和を子供にぶつけていて子供はそれを理解していた話。母から言われたひどい言葉や仕打ちを思い出して、今何も変わっていない事。

私は何をやっても満足がない事、何がやりたいのかわからない事を話した。何をやっても、それなりですごくやりたい事がない、やりたい事がわからない。

話していたらわかった事で、わたしが絵を描いていたのは、多分初めは絵を描いていると母が喜んでくれるからだったのかもしれない。母に認めてもらうには、母と共通な話をするには、絵や漫画や芸術ををやると考えたのかも。書くきっかけは楽しかったからかもしれないけど、絵を描くと母が喜ぶ、画材も買ってくれたし、認めて褒めてくれたから、やっていたのかな?一時期、親に反抗して生きるのが嫌になった時期があるけど、怒られて、否定されて、反抗しても無駄な事がわかって、親に認められる方、期待される方の、絵を選んだのかもしれない。漫画やイラストや芸術の話をしたら母が喜ぶ、画材屋や美術館に行ってくれる、話をしてくれる、認めてくれる。そんな理由。パソコンの専門に行ったのも同じような理由かもしれない、父と話す理由ができた、父と話せる、我がてくれるなんて期待してさ。

子供って健気だよね。

認められたい一心で、大学にも入れたし、漫画家先生にも会えたし、版画で賞も貰ったし、ここまでやりたくたってできる子いないよ?良い子いいこ。漫画家先生と知り合いになったり、漫画家先生に直に会う事があった。母の私に対する嫉妬も(⌒-⌒; )
あるのかな。

東京に出て、変わったのはうちらだけだったね、父と母は何にも変わっていなかったね、と姉と話した。

自分たちは、もう絶対何を言われても、実家に帰ってこない事、こんな親にはならない事、同じ苦しみは子供には味あわせたくない事。

澄んだ朝

話題:ひとりごと

おじいちゃんの一周忌がやっと終わった。

去年のお葬式に始まり、49日、新盆、一周忌、長かった。
田舎の独特な風土の特に濃い地域に生まれ、壮絶な仏事を大人になってから経験した。

朝からひたすらお茶入れをして、立ちっぱなしで台所で洗い物とご飯作り、親戚やご近所が来たら御給仕をして、全員に三つ指ついて挨拶をして、ご飯とお菓子を出して、お酒をお酌して回って、カレー作ったり、煮物を作ったり、近所のおばさん達でお団子作って飾って配ったり、隣近所の独特なお経があったり、盛大なお葬式をして沢山の友人や知人や親戚や近所の人達が来て、賑やかに宴会をして、お食事会をして、

男のし(男の人達)はお酒を飲んで食べて騒いで、女し(女の人達)は台所で料理を作り、洗い物をする。

おばさん達が御給仕が終わってから、喪主の家の家主や家族が、おばさん達を感謝の気持ちを込めてお接待する。

奥座敷から中座敷から、居間まで入りきらない人が来て、祖父母の離れの家にも一杯になって何人来たか把握できなかった。祖父の人望の厚さを思い知った。独特な風習と、近所付き合いや、親戚付き合いがある、地域の繋がりと絆や縁故が強い地域の、そんなお葬式の忘れられない思い出。

おばあちゃんの介護しながらの一周忌を無事に乗り越える事ができて、本当に良かった。

介護しながら一周忌をやり切った母は凄い。テキパキと、おさんどんをこなす近所のおばちゃん。

私には真似出来ないな・・・・
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