長崎。
 鎖国の間も海外の窓口となって交流を続けた港町。
 島が多く、坂が多く――そして。
 最後に原子爆弾を投下された、場所。

 自分は大人だ、って。
 胸を張って言えるほど、大人になったつもりはないけれど。
 けれどやっぱり、子どもだった昔にはわからなかったものが少しずつ、わかれるようになった。
 それを嬉しく思うと同時に、後悔がつのる。
 どうして、もっと早くわかれなかったんだろう――と。
 自分が生まれ、自分が育ったここは、とてもいい場所だ。
 すぐそばには海があり、街中でも木々の緑が、花の彩りがあって。
 心地よさが――溢れてて。
 自分が生まれた時にはもう、これが当たり前のものだったけれど……65年前は今が嘘なんじゃないかって疑うくらい、酷い有様だった。
 街も。
 緑も。
 人も。
 焼けて。
 燃えて。
 焦げて。
 地獄、そのもので。
 嘘のような、嘘であればよかった、過去の現実。
 1945年、8月9日、11時2分にここ――ナガサキは悪魔の光に包まれ、地獄になった。
 空は黒く汚れ、大地は黒く焼けて焦げ。
 原爆資料館に足を運んだことがあるけれど、そこに展示されてた当時の資料や写真が、目を背けたくなるほど惨いもので。
 本当にさ、どうしてあの時にわからなかったんだろう。
 日本という国に生まれ、長崎という土地に生まれたのに――どうして、わかれなかったんだろう。
 今はまだ、ナガサキは原爆が最後に投下された街と言われている。
 どうして《今はまだ》なのか。
 それは世界には依然として、沢山の核兵器が存在しているから。
 ヒロシマとナガサキの悲劇が繰り返される可能性は、悲しいことにゼロではない。
 だけどもう、ゼロにしなくちゃいけないんだ。
 燃える業火に消えていった人がいる。
 65年が経った今も尚、苦しんでいる人がいる。
 そして、これからの世界を、未来を歩んでいく人が、いる。
 自分がこうして生きてここにいるのは――当たり前なんかじゃ、ないから。
 だから長崎は今年もまた、サイレンを鳴らす。
 悲しみ多き過去を悼み。
 争いのない未来を願い。
 目を瞑り、祈る。
 どうかこの世界から、核兵器がなくなりますように。
 どうかこの世界から、二度とヒロシマとナガサキの悲劇が生まれませんように。
 8月9日、11時2分に――この場所で散った全ての人へ、この世界に生きる全ての人へ――届けるように。

「………………8月9日を生きた人はどんどん少なくなっとる。いつかは、おらんごとなってしまう。そいでもおいたちは絶対に忘れん。白か光に焼かれ、黒か雨に汚されたナガサキを。1945年、8月9日の11時2分に生まれたあん地獄を絶対に忘れず、訴え続ける。原爆は怖ろしかもんって、ヒロシマとナガサキの悲劇はもう起こしたらいけんって、これまでも――――――これからも」


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