ところどころ擦り切れて。
綴られた文字は震えていたけれど。
それはまぎれもなく、あの人からのラスト・レターだった。
今でも鮮明に覚えてる。
雪の舞う、三年前のクリスマスの日。
一匹の黒猫さんが全身をボロボロにして、それでも金色の瞳に強い意志を宿して、私の前に現れた。
黒猫さんは茫然とする私に咥えていた手紙をそっと渡し、
「ニィ」
とだけ鳴いて、そのまま眠るように息を引き取った。
その顔はどこか満足そうで、どこか微笑んでいるように見えた。
いなくなってしまったあの人からの手紙を読んだ私は、あの人とよく遊んだ家の庭に黒猫さんを、ホーリーナイトを埋めてあげた。
あの人はばかな人だった。
最期の最後まで自分以外の誰かのことを切に思う、ばかなお人好しだった。
きっと黒猫さんも、そんなあの人のばかに影響されちゃったんだろう。
ばかなあの人。
ばかな黒猫さん。
だけど――だけどね?
ちょっと、羨ましいって思う。
あの人は最期まで友達の為に生きて。
黒猫さんも最後まで友達の為に生きて。
自分以外の誰かのことを、大切な存在の心を大切にして。
それはなんて――なんて美しいんだろう。
なんて、愛しいんだろう。
一人と一匹の思い合い大切にし合った行いは、きっと他の人にはばかだと言われることなんだろうけど。でも、私にとって彼らはばかなんかじゃない。羨ましくて、美しくて、そして愛しい、かけがえのない存在。
ねえ、黒猫さん。
あなたは名前の通り、とても素敵な騎士さんだったよ。
ありがとう。
私に手紙を届けてくれて。
私の大切な人を幸せにしてくれて――本当にありがとう。
気を抜けば零れそうになる涙を必死に堪え、私は雪の舞い降る空を仰ぐ。
どこか、遠くの空で。
温かい風に乗って。
楽しそうな男の笑い声と。
嬉しそうな猫の鳴き声が――聴こえた。
.
あとがき
ここまで付き合ってくださりありがとうございます。
もしも自分のこの作品に、何か心に感じるものがあったなら、どうかBUMP OF CHICKENさんの『K』をお聴きになってください。
自分の作品なんかよりずっと、ずっと心に響く大切な《何か》があります。
【K〜聖なる騎士の軌跡〜】
ごめん。
おれはもう、だめみたいだ。
もう、これまでみたいなんだ。
ごめん。
ほんとうにごめん。
めいわくばかりかけて。
しんぱいばかりかけて。
いなくなって――ほんとうにごめん。
うらんでくれていい。
おこってくれていい。
わすれてくれたってかまわない。
だけど、どうか。
おれのねがいをきいてほしい。
おれのさいごのねがいを、かなえてほしい。
このてがみをとどけてくれたおれのともだちを、ホーリーナイトを、ひとりに、ひとりぼっちにさせないでくれ。
どうか、しあわせにしてやってくれ。
たいせつな、こころからたいせつなともだちなんだ。
おれはいいから。
おれのことはもう、どうでもいいから。
だから、どうか。
どうか――おねがいします。
ごめん。
ほんとうにごめん。
めいわくばかりかけて。
しんぱいばかりかけて。
いなくなって――ほんとうにごめん。
おれのともだちをしあわせにしてやってください。
そして、どうかしあわせになってください。
またせて、ごめん。
まっててくれて――ありがとう。
.
雪の舞い降る道を走る。
駆ける自分の姿に驚く人々を通り抜け、必死になって手足を動かす。
口に咥えた友の約束を守る為。
口に携えた友の願いを――届ける為。
走って。
走って。
走って――バキン、と。
突然の衝撃。
身体に響く鈍い激痛。
無邪気に笑う人の子らが、こちらめがけて邪気の塊のような石を投げつけてくる。
悪魔の使者だと。
不吉の象徴だと。
だが、それがどうした。
たとえこの身を砕く激痛に襲われても、この身を潰す邪気に苛まれても、この心だけは――この名前だけは、汚すことなどできるものか。
悪魔?
不吉?
なんとでも呼べばいい。
自分には、消えない名前がある。
決して消えない、たった一つの誇りが――ある。
『ホーリーナイト』
聖なる夜と――そう、呼んでくれた。
忌み嫌われる自分の黒色を、聖夜と呼んでくれたのだ。
あらん限りの優しさと温もりを詰め込んで、自分に名前をくれたのだ。
もしも自分がこの世に生きた意味があるとするならば――きっと。
きっと、お前との約束を守る為に生まれてきたんだろう。
どこまでも走ってやるさ。
自分は騎士となる。
約束を守り、願いを届ける、唯一無二の友に仕えし黒騎士に。
白色の世界を黒色の身体で走る。
走って、転んで。
立ち上がる間もなく襲いくる罵声と暴力。
悪意に晒された身体は既に満身創痍で、手足は思うように動いてくれない。
だが、負けるものか。
自分はホーリーナイト。
千切れそうな手足を引き摺り、走る。
あの男は、こんなことを望んではいないだろうけど。
それでも――走る。
こんな自分を許してくれとは思わない。
だけど、せめてこれだけは思わせてくれ。
今までありがとう――ダチ公。
.
【K〜聖夜の奇蹟〜】
微笑んで眠った男の頬を、ちろりと舐める。
あんなにもあった温もりはどこにも感じられず、あるのはどこまでも冷たい、消えていく体温。
死。
この男と出会うまでは離れることなく自分の隣りに寄り添っていた、終わりの冷たさ。
込み上げてくる感情に任せて男の手を引っ掻いてみるも、以前ならば「痛い」だの「可愛くねえ」だの呟いていた口は、微笑んだまま動いてくれない。
馬鹿な男だ。
本当に――大馬鹿者だ。
四畳半の部屋に所狭しと散らばった、沢山の自分が描かれた絵がこちらを見つめる。
不吉な黒猫の絵など売れないというのに、この男は自分を描き続けた。
それが自身を冷たくするとわかっていたくせ、幸せそうに笑って。
馬鹿な男だ。
本当に――大馬鹿者だ。
独りであることには、孤独には慣れていた。
むしろ孤独を望んでいた。
誰かを思いやることなんて、煩わしいだけだったから。
煩わしい、だけだったのに。
手紙を。
手紙を恋人に届けてくれと男は言ったが、そんなことに付き合う義理は自分にはない。
自分を再び孤独にした者の頼みなど、誰が聞いてやるものか。
でも――だけど。
男はどうしようもない馬鹿だった。
引っ掻き、噛みつく自分のことを決して追い出そうとせず、ただ「しょうがねえな」と苦笑する馬鹿なお人好しだった。
自分に初めて温もりと名前をくれた――大馬鹿者だった。
馬鹿な男だ。
馬鹿で。
大馬鹿で。
だけど――それでも。
嗚呼、どうやら自分にも馬鹿が伝染したらしい。
男の頬を再度ちろりと舐めた後、ラスト・レターを咥えて走り出す。
真っ白な雪の降る道を。
白色の世界を。
黒色の身体で。
不吉な黒猫の絵を男は描き続けた。
その命を削って、ただただ、ひたすらに。
描かれた自分が言う。
最愛の友の、最期の願いを叶えろと。
絵に言われるまでもない。
手紙は確かに――受け取った。
.
別れの鐘が鳴り響く。
気付いた時にはもう――手遅れ、だった。
ひどく寒かった今年の冬。寝る間も削って働いた為の過労。それらが気付かぬうちに、気付いても気付かないフリをしてるうちに、俺の命を蝕んでいったのだろう。
「けほっ…っく…………げほっ!」
口内に滲む血の味。
意識は霞み、倒れた身体は力が入らず、何もかも億劫に感じる。
俺はここまでだ。
温もりを失っていく全身がそう語っている。
「っ……あっけない、最期……だけど」
不思議と、悲しさはまるで生まれない。
だって――幸せ、だったから。
お世辞にも裕福とは言えない生活だったけど、それでも幸福だったから。
これでいい。
こういう終わり方でも――いい。
生まれつき身体は弱かった。
外で遊ぶなんて夢の夢、家の中でずっと絵ばかりを描く、弱い弱い子どもだった。
だからせめて、精一杯に生きてやろうと思って、精一杯に生きた。
好きなことを好きにやって、嫌なことは嫌々やった。
だから――いいんだ。
これ以上は、望まない。
このまま眠ろう。
このまま――
「…………ニィ」
――その声に、沈んだ意識が覚醒する。
重たい瞼を必死にこじ開けて顔を上げれば、そこには尻尾の生えた小さな友達の姿。
「いい、わけ……あるかよっ!」
消えかける力を振り絞り、スケッチブックに手を伸ばす。
精一杯に生かしてくれたのは誰だ?
幸福にしてくれたのは――なんだ?
俺はいい。
このまま眠ったっていい。
だけどコイツは?
俺がいなくなって、独り残される大切な友達は?
嫌だ。
コイツを独りにするのだけは、絶対に嫌だ!
霞む目で、震える手で、俺が贈れる最初で最後のプレゼントを――ラスト・レターを綴る。
「この、手紙を……届けて、くれ。夢を見て出て行った、けほっ……俺の……俺の、帰りを待つ、恋人に」
そして、どうか――幸せになってくれ。
彼女ならきっと、俺の代わりに、俺の分まで、お前を幸せにしてくれる。
「ごめんっ……ごめんな、ホーリーナイト」
もう、時間切れみたいだ。
お前の綺麗な黒を描くのはもう、できないみたいだ。
ごめん。
駄目な友達で。
俺ばっか幸せになって――本当にごめん。
笑って眠る俺を恨んでも構わない。
だけどさ、せめてこれだけは言わせてくれよ。
今までありがとう――ダチ公。
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