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それでは、開始しましょう


誰も、誰かの偽物にはなれない。
誰も、誰かの本物にはなれないように。


どうも、最近になってようやく執筆速度が上昇してきた歩方和言です。上昇、とは言ったものの、蝸牛から亀くらいになったものなんですけれどね。しかも今書いている話はドクの章なんですけど、何故か彼女の話になるとやたら長くなる不可思議現象により、六月中には終わらないかもしれません。七ページ書いてやっと半分くらいの量ですし。

閑話休題。

例によって例のごとく、水無月、四恩、そして自分でお送りする福岡に行って映画を観て後はまあいつも通りやろうぜ計画――通称《福岡から逃げちゃ駄目だ計画》がようやっと実現段階に移行しました。もしも福岡で妙に凸凹と格好も身長も外見年齢も噛み合ってない三人組がいたらそれはきっと自分たちですので、生温かい目で見守ってください。

でもまあ……あれです。
しみじみ思います。

どうして自分たちの計画は順調に進行しないのかなぁ……と。

いや、ある意味では順調なんですけどね。
計画が計画通りにいかないことも計画に織り込んで計画してますから。
何か問題が起こっても「ああ、やっぱりか」とあっさり受け入れますし。
でもいい加減、いい加減にしてほしいのも事実です。いちいち無意味に疲労するのにも大概疲れ飽きますしね。



それでは、今日はこの辺で。

人の為の物語


「ミスった人生とミスター人生。語呂は似てるのにミスター人生の方がかっこよくないですか?」
「かっこよくねえよ。むしろその発想がねえよ。つうかなんだ、ミスター人生って」
「ミスター・新生」
「セカンドシリーズ!?」


どうも、ある吸血鬼と蝸牛の掛け合いを模倣しようとして盛大に失敗した歩方和言です。
いやもう本当に……あれです。


偽物語(下)が素敵に素敵すぎました。


どのくらいかと問われれば、久しぶりに長崎へ帰ってきていた四恩を連れてツタヤに突撃かけるという荒業を起こさせるくらいに。
読み終わったのは五日前になるんですけど、いまだに影響がこれでもかと残ってるんです。

だってもう……だってもう!
火憐のバカっぷりが……っ!
神原の出番の少なさを超越する変態性が……っ!
八九寺とのミニコントが……っ!
そして暦のキメ顔……っ!

もう、やばいんです。(あらゆる意味で)
戯言とは全く違うハッチャケさが化物語の真髄ですね。流石、200パーセント趣味で書いた小説と謳ってるだけはあります。

……あれほどの作品を趣味で書けるというのも、驚異の一言ですがね。

やはり西尾さんは素敵に最高です。
アニメが(いや最初からなんですが)待ち遠しくなってきました。
続編……になるかわかりませんけど、
傾物語
猫物語
の二作品も待ち遠しい!
個人的には傾物語が特に!だって八九寺がメインらしいんですもん!

ふー…………
でわ、落ち着いたところで今日はこの辺で

答えを出すまでもない疑問


疑問にする意味はない。
答える必要もない。
当然、だから。

どうも、歩方和言です。

実は先日、未知との遭遇を果たしました。いやまあ、実際は既知なんですけど、あれはもう存在そのものが未知というか……知ったところで知ることはできない不思議不可思議摩訶不思議な生命体?でも生命と表すほど生きてないし……ああもう、物凄く表現に困りますね。

おそらくあれを説明するには原稿用紙十枚は必要になると思いますので、簡単かつ簡潔に(水無月と四恩にしか伝わらない)専門用語を使います。

フリーダム。

先日、自分がバイトに勤しんでるとフリーダムが来襲してきました。
ちなみにフリーダムは人……だと思います。多分。
これだけでは絶対にわからないでしょうから補足しておきますと、未確認生命体フリーダムとは自分たち管理人ズのもう一人、管理人ではないけれど自分たちを一括りにするならモブとして確実に組み込まれる主要メンバーです。もっとわかりやすく言えば自分のリアルの友人、でしょうか。あれを友人と表すには若干の抵抗がありますが……まあ友人です。

ともあれ、生き方というか在り方というか何もかもが自由すぎてフリーダムと揶揄されるあれと五か月ぶりに顔を合わせたんですけど……うん。

全く変わりありませんでした。

懐かしいという感情は一切なく。
むしろ昨日も会ったように感じるくらい、相変わらずでした。

いやもう本当、フリーダムだけに限らず、どうして自分たちはこうも変わらないのでしょう。
変わっているのに、変わらないのでしょう。
不思議です。
疑問です。

……ま、正直なところ疑問にするまでもないことなんですけどね。

きっと変わらない関係なんです。
きっと変われない関係なんです。
当然かつ自然。
だからこその自分たち、って感じですかね。



とりあえず……うん。
お前に対する心配はこれっぽっちもないし、むしろ心配するだけ無駄だろうから不安にだけ思っておくが……帰ってきたら連絡よこせよ。
今度こそは、しっかり集まるとしようや。

近く、遠く、果てしなく



大人になりたい?
だったらせめて、背伸びはやめなよ。


どうも、歩方和言です。
最近は何故か「子ども」と「大人」の境界線について考えることが多いんですよね。ちなみに子どもの「ども」が供じゃないのは、自分が福祉系の大学に通っているゆえのくせみたいなものです。障害者も自然と障がい者になってしまいますし。

まあ、それはさておきまして。
あと半年もすれば二十歳になるのに思春期ストライクなことをよくもまあ考えられるよなって、自分で自分を「中二病め……」と罵る今日この頃ですが、自分にとっての「子ども」と「大人」の境界線……つまり子どもから大人になる一つの要素は、自分の為にのみ行動すること、だと思うんですよね。
まだまだ成人してない、がきんちょである自分が語るのは恥知らずもいいとこですけど、そう思うんです。

誰かの為に行動する。

それは言葉だけなら美しく、美徳で、綺麗で、褒められて然るべきなんでしょう。
しかし、自分にはどうしてもそれが美しいとは思えないのです。

誰かの為にしたことが、必ずしも誰かの為になるとは限らない。ちゃんと花を咲かせることもあれば、逆に枯らせてしまうこともある。そして、咲かせようが枯らせようがそれは全部、当事者だけのものです。どんなに頑張っても、足掻いても、他人がそれを横取りすることはかないません。

誰かの為に。
誰かの為に。
そんなの、自分には押しつけにしか思えません。責任の擦り付けにしか感じれません。

誰かの為にじゃなく、自分の為に。自分のエゴの為に。自分のエゴを貫く為に行動する。

失敗も成功も奪わず、押し付けず。
そういう風にあって初めて、人は大人になるんだと、自分は思います。


……まあ、戯言ですけどね。
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