スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

彦根城



講義が二限目のみの火曜日。
いつも一緒に行ってくれる友人とほぼ同郷の友人の三人で彦根城に行きました。正直、目的は城よりもマスコットキャラクターの『ひこにゃん』
とりあえず彦根城を上ります。つい先日、単身で大坂城に行った自分としては、手の加えられてなさに流石滋賀…!と思いました(何かズレてる)意外と短かった石垣を上りきって城内へ。
靴を脱いで板の床を歩きます。この辺りが親しみやすい。井伊家の城は板の間が多いな。畳とか取ったんだろうか。展示物もよかったですが板床の廊下を歩くのが楽しかった。
昔の建物だけあって階段が急斜でした。上がっている足のすねに次の段が当たる程。階段のスペースを狭めるとああなるんだな…。
もし行かれるお姉さんがいらっしゃったら、ズボンをお勧めします。スカートは無謀です。目のやり場に困ります…。
最上階から見える景色。琵琶湖が見え、山が見え……佐和山が。彦根城に比べて佐和山城の扱いの酷いこと。井伊め。ひこにゃんは可愛いがそれとは別。
さて行きはよいよい帰りは怖い。行きで苦労したあの階段を下りて行きます。次の階がすでに見えてる急斜な階段。急過ぎだろ。
城を出て、ひこにゃんグッズを求めて歩きました。途中酒屋で『鬼の左近』なる清酒を見つけて盛り上がった後、さあひこにゃん、と色々回ったが見つからず。珈琲店で休憩しながら携帯で調べてもらうと隣の店で扱っていることが判明。マグカップや茶もいいのですが、携帯クリーナーのストラップがほしい自分は、友人と時刻が夕方になった頃に取扱のホテルへ。しかしない。帽子としおりはあるのに。意を決して尋ねてみると…。
『11月上旬に入荷予定だったのですが、外国で作ってから運ぶ船が沈没しまして…入荷予定は今のところ下旬なんです。すみません』
と丁寧に説明頂きました。ひこにゃん沈没……!!
次こそはひこにゃんを。と思いまた彦根に行く予定です。

佐和山とか石田町とか。行きたいところが多いな。将来が決まってないのに…。
彦根城は来年で400周年らしいです。生ひこにゃんを見るならそのイベント時に…!

 



2006.10.31

大阪城



例によって金曜日の一限しかない日。
思い切って単身大阪に参りました。
きっかけは電車の広告。
大阪城にて『真田幸村と大坂の陣』展示。しかも期間限定。こ、これは行くべきか否か…!迷った末行きました。
電車で約二時間。一度行ったことがある(大阪城公園には)から平気平気。と思っていたら見事やってしまいました。新大阪駅下車(本当は大阪駅下車でないといけない)しかも改札一回出てから気付いたので無駄に出費…。ま、そんなこともあるさと思いつつ公園に着きました。が、大阪城ってこんなにでかかったのですね…。大阪城公園から目指せ大阪城。堀やら石垣やらあって遠い…しかも銀杏?のせいか時折家畜くさ(禁句)そして十月下旬というのに暑かったです。大阪だけ九月並の陽気か?みたいな感じでひいこら言いつつ坂を上り、やっと大坂城。
長浜以上の人出でした。平日なのに。修学旅行中な小学生がいたからでしょうか。とりあえず何か食べよう…と『粟おろしアイス』なる物を買いました。美味い。暑さ凌ぎにはアイスですな。群れる鳩を避けてうろうろしてからいざ城内へ。
大坂城って最初にエレベーターで最上階に行ってから階段で下りていくのですね。知らずに階段で上って行ったので展示物を見る順番が逆…。幸村の展示だけあり関連のクイズとかあって楽しかったです(父、昌幸が建てた城の名前は?とか)一人で大喜び。ただ階段の上り下りに疲れた…。
地味に上り下りをしてクイズの解答欄を全て埋め、最上階まで行けたのは展示が真田だったからでしょう。興味のない人だったらそこまでしないです(言い切った!)普段は上田(多分長野県)まで行かないと見られない真田ゆかりの物を満喫しました。六連銭の旗とか大坂の陣前に幸村が義姉(兄、信之の妻の小松姫。無双でいう稲姫)に当てた手紙とか楽しかったです。
最後に土産売り場で戦国占いなる物があったのでやってみた結果。
『島津義弘』
…………やった。関ヶ原で生き残った人だ(ポジティブ思考)
帰り、大坂城を背景に写真撮影をしている新婚さん発見。女性がウエディングドレスで男性が白の着物に殿様かつら…。大阪だ。

楽しかった大阪でしたが、多分しばらく大阪に行きません。人か多いし…。
所詮自分は田舎者だと思い知りました。

 




2006.10.27

長浜城



大分遅い報告となりましたが長浜城に行きました。

関ヶ原の時の友人と二人で平日(金曜日)の長浜駅に降り立ちます。観光客多…。平日なのに。
徒歩で長浜城へ。一度行ったことがあるのですがなんといっても期間限定の展示が『盟友 石田三成と大谷吉継』ですから。これは是非行かないと!と意気込んだのです。しかし常時展示している千代と一豊に比べると展示物に面白みが欠けているような…。勉強にはなりましたが。
三成って最初『三也』だったんだな。知らなかった。一豊の時にもある展示物の紹介をしている、デフォルトの三成のイラストの睫毛が気になった…。

大谷さん。よく礼状が展示してありました。菓子を貰った時の礼状。金品を貰った時、歳暮を貰った時…。友人と筆まめな人やなと話して見ていたら、
『昆布千本と菓子を送られた時の礼状』
とありました。
大谷さんの心の広さを思い知りました…。昆布千本て。何に使うんだ。だし、だしか?ひたすらだしか?(だしか酢昆布しか活用法が思いつかない貧相な想像力)それで盛り上がった直後に同年代の女性二人が『昆布千本?!この人何でも貰うな〜』とおっしゃっていたので正直うけました。なんか同士な気が…(その方に失礼)
最上階からの眺めで友人(京都出身)が琵琶湖を見て『本当に海みたいやな』と言いました。うん…確かにでかいな。もとより滋賀人の自分は散々『we Love 琵琶湖』な広告を見てきたので特に新たな感想はなし。琵琶湖上で一夜を明かしたこともありますので(滋賀人ならたいていある小学校行事)
長浜城を下り、街へ。ええ見事な一豊と千代一色で。おばさん方もそれが目的でしょうが。唯一見つけた三成の物。清酒『石田三成』。ちゃんと家紋も入ってました。買えませんでしたが。
煎餅を買い、土産を買い。やる事がなくなりました…。微妙に体調不良だったこともあって、牛まん(売ってた)食べて帰ろうかと。
石田町はまた今度ということで。土産買った店で長浜城入場二割引き券(もう行った後)を見つけたのが残念でしたが大谷さんについて解ったのでなかなか面白かったです。

 

 

 

2006.10.20

関ヶ原



関ヶ原に行ってきました。

友人と。正直、田畑と山ばかり。西軍エリア。
すぐの案内所の家紋スタンプで既に満足気味な状態で出発。
とりあえず資料館を目指します。と、渡った橋の両側を三成と家康の画。流石関ヶ原。道路でもアピールですか。
途中で東軍・松平忠吉と井伊直政の陣跡があったので一応寄って、資料館到着。実際に乗れる当時の馬の高さの模型やら戦の状況の模型、三成の文や兜などが展示。
その中で大変失礼ながら友人と指さして声を殺して笑ってしまったのが、小早川秀秋の画。うわあ情けない顔。なんだかこれなら死にたくないからと東軍に寝返るのも納得するようなヒョロ顔でした。当時19歳。他にも様々な顔画が。意外にも島津義弘がなかなか素敵な顔立ちでいらっしゃいました。
売店には家紋Tシャツや湯呑み、グラス、キーホルダーやストラップが売られており、三成のTシャツは無かったので断念。義の三人を揃えよう(どんだけ義軍好きなんだ)としたら…キーホルダーに直江がない…!ストラップにはあるけど高いし…。仕方ないので三成と幸村のだけ購入。
「まあいいか、直江だし」
直江に対する思いの薄さを再確認する一言でした。

昼食後、三成本陣跡へ。途中、決戦地にも寄ってみました。春もに行ったけど一応行ける距離なので。
…あの、今更なんですが今更気付いたんですが、三成陣跡から決戦地近っ!多分500bもないです。なんか…余程押されてたんですな。決戦地には石碑と石田・徳川の旗がたなびいてました。
さて石田三成陣跡へ。軽い山みたいな笹尾山に上り(麓には左近陣跡有)当時霧が出ていたであろう戦場の眺めを一望。そこで説明(機械)を聞き、天下餅を買いに離れた所にある店に移動。
次に島津義弘陣跡に向かいます。陽は暖かく雲一つない良い天気なのですが、風が時々強い。そんな中、田畑と山の間を歩く自分と友人。その時点で実は既に三時間は歩いてます。
さて、島津の陣跡は思いっきり畑の隣にありました。林と林と畑の隙間に揺れる島津の旗。島津の旗はあの丸に十字なのですが、島津義弘の旗はまた別にあるとか。

島津義弘陣跡から徒歩六分程の距離に小西行長の陣跡があるのですが、矢印の道を見るとおもいっきり畦道を指してました。さすがに行きにくいので少し回り道をして先に開戦地へ向かいます。
開戦地跡には様々な旗が揺れていました。中でも家康の旗がなんかムカつく…(え)すぐそこ、一分もしない所に小西陣跡。小西は悪くないのですが、疲れていた友人と二人で行きにくさに「小西め!」と言ってました(見事な疲労っぷり)開戦地から近過ぎだよ…小西。
友人の疲労が重なる状況で折角来たのだからと宇喜多秀家の陣跡を目指す自分。案内の通りに歩くとなんか森みたいな山に入っていきます。天満山だとか。しかし本当に関ヶ原は田畑と山ばかりだな。
木々に囲まれた地に宇喜多陣跡発見。すぐ側に神社らしきものがあった為か、ものすごく神聖な雰囲気でした。なんか写メの響く音が申し訳なくなる…。宇喜多って西軍副大将だったんだな。関ヶ原行って初めて知った。

近くの案内には『大谷吉継の墓 27分』とありました。
「大谷の墓行くけどいい?」
と聞くと友人は
「……………いいけど」
そんな疲労状態で大谷の墓を目指します。
宇喜多陣跡から行くと藤古川ダムを横切ることになり、コンクリートで出来た橋を渡ります。この時はまだいい。友人が橋を怖がっていたけどまだいい。問題はその後に見た看板。
『熊出没注意!!』
……どう注意しろと。とは思いつつも自分は所詮野生の熊に出会ったことがない人間ですので、ああそうなんだ…くらいで歩き続けます。しかし、同行していた友人は故郷が熊が出る地域らしくかなりの恐慌状態。もう帰りたそうな空気満載。やっと熊が出そうな所を抜けだせたというのに、自分が大谷の墓に行きたいが為にまた森の中に入っていくのを見て友人、しんどそうです。
結局、怖がる友人と森の中へ(すみません…)友人は熊避けの為に切羽詰まった感じで童謡を歌ってました。自分も合いの手を入れて歩きます。
時々軽口を叩くも疲労には勝てませんでした…。
夏休みに鞍馬山に登った時よりはマシだけど精神的に疲れた…。
途中もしやこれ熊避け?みたいなのに気付きました。いや、きのせいきのせい。ははは。そんな自分もなかなかやばい心境の時、大谷さんの墓に到着。墓の近くのごみ箱から人が来ているあと有。しかし、陣地からそんなに遠くない所に墓があるとは。
大谷さんは自刃の折、死後自分の首を隠すよう告げ、その言葉を守った家臣のおかげで戦後、首は見つからなかったらしい。
少し戻った所に大谷吉継の家臣、平塚為広の碑が。
その後は駅へ。その日の最初に本多忠勝の陣跡にも行こうかという話があったのですが…つ、疲れた…。
大体西軍は回ったからいいか、と。帰りつつ西首塚も見ていく自分。島津や石田、小西等の旗が並んでました。
そんなかんじで五時間は歩きました。疲れたけど楽しかった…。でも多分もう行かない。行ったとしても石田家紋Tシャツ目当てで資料館だけだろう。徒歩は色々と無茶でした…。一緒に行ってくれた友人に感謝。
実地で歴史を知って感慨深かったです。
これにて関ヶ原紀行は終わり。読んで下さった方、ありがとうございました。

 


2006.10.13 観光
           

←prev next→
プロフィール
翔さんのプロフィール
誕生日 11月16日
地 域 滋賀県
職 業 夢追人
血液型 O型
カレンダー
<< 2006年10月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31