タイトルから察して頂けます通り、前記事の続き。
というよりそもそもこっちが本題だったのだが、久々にプレイした衝撃でか見事に話が逸れてしもーた。…まぁ、ちょっとした前説って事で(震え声)
なので前記事同様、最悪それ以上に独自理論があるかもなので、ご理解頂いた上で先に進み下さい。なお、ネタバレに関してはガッツリあります。
気持ち、ちょっとUTの話題も絡むかも…?
本音を言えばこれに関しては久々にプレイする前から考えていた事なんだけども、個人的にネスとギーグって実は同一人物だと思っていまして。
正直こういう風に考えたキッカケは我ながら少し変則的でありまして、
そもそもいつぞやの記事かで触れたかもですが、これ書いてるヤツは過去に「サンズ=ネス説」の動画を見た事がありまして。
また私自身はというと「サンズ=ギーグがモデルになってる説」を推している訳なんですが。
じゃあもしかしたら「ギーグ=ネス説」もさもありなんじゃね?っと言うのがそもそものキッカケです。とどのつまりUT考察の副産物だという。
じゃあそうなってくるとマザー2ってどういう話になってくるよ?となるかもだが、この説を前提にして考えるなら「宇宙人という不老不死の存在であるギーグが、自らを殺しに行く為の話」になるのでは?というのが最近の持論だったり。
というのもこの説に関しては一応こう考えるに至った前提、というかそう思わせる描写?がありまして、
それが2ではなく、3の方なんですが、
(※以下、マザー3のネタバレをガッツリ含む内容である為、注意)
私個人的には3の主人公一家はそれぞれ、
・フリント=ジョージ
・ヒナワ=マリア
・クラウス=ギーグ
・リュカ=夫妻の実子
という、そもそもの始まりであるギーグと、その育ての親であり家族だった一家の関係を幾分か脚色を加えながらも当時の状況を分かりやすく表したものなのでは?と当時プレイした直後から感じていたのですが、
(※ストーリー終盤、鐘つきのリダから直々に聞く事になるが、そもそもマザー3の世界は既に一度滅んでおり(2オープニングないし序盤にブンブーンから聞かされる「ギーグが滅ぼした未来」が3の世界)、そこで生き残った一部の科学者とその家族達が技術を進歩させ続けてしまった事により起こってしまった残状にすっかり疲れ果ててしまい、「いっそ昔見たドラマの登場人物のような暮らしをしたい」という願望のもとで自分達の記憶を消し、実際にその暮らしを再現した場所がタツマイリ村。いわく、そのドラマを元にアメリカ開拓時代(1860〜1890年頃)の暮らしを再現したらしいが、1のオープニングで語られている通り、そもそもギーグが一家と出会い、生活を共にしていた時期が1800年代のアメリカである)
(※少し話が逸れるが、上記のマザー3のストーリーやその背景を初めて見た方の中にはもしかしたら別の意味で驚愕した方もいられるかもだが、「未曾有の災害(人災)が起き、一部の科学者のみが生き残った」「その科学者達が新たな文明を造った」「新たな文明の中で古き良き時代のものを再現していた」「3作目でそれら詳細が語られる」という共通点から分かる通り、どういう訳かスプラトゥーンシリーズも似た作品背景である。言うなれば同じ任天堂作品である為、自社パロと言えなくもないが果たして…?…なお余談だが、それらストーリー背景を知れるオルタナログを読んだ際、あまりの酷似さから悲鳴を上げてしまったのはここだけの話です)
そんなマザー3のラスト戦、仮面の男ことクラウスと事実上のタイマンになる訳だが(仲間復活させてもすぐに回避不能全体技でリュカ以外やられてしまう為)、その戦いのラストはもしかしたら実況動画なりで見た事ある方は知ってるかなと思いますが、
クラウスが自身に強力なPSI攻撃を放ち、言うなれば自害という形で幕を閉じます。
先で書きました通り、仮にマザー2が「ギーグが自身を殺す為の話」だとしたら、結末としては一種リンクする部分なのかなーと個人的に思っている部分でして。
プラスもう一つ、これまたラストシーンからですが、3で最後クラウスと対峙した際、途中で声だけだけども母であるヒナワが仲裁に入る事で事実上それ以上の戦闘は不可能となった後、クラウスは「自分はもう母さんの所に行くよ」というセリフの後、前述の結末を迎える訳ですが、
個人的に長年気になっていた事なんですが、そもそも2ってラストの展開が少し不思議だなと思っておりまして。
というのもギーグ戦後、肉体を安置しているサターンバレーに魂が戻ってきた時点で一度スタッフロールが流れ、そしてポーラを送ったり、今まで行った場所を好きに回った後、自宅で母親と会話した後に残りのスタッフロールが流れるという形かと思います。
一応後のゲームなりでも似た手法の作品はあったりとは思いますが、それでも当時の作品でスタッフロールを二度に分けるというのはあまり見ないよなと思っていたんですが、
仮に、
ギーグとネスが本当に同一人物だとしたら、
クラウスの「自分は母親の所に行く」というセリフがリンクするのだとしたら、
そんなもしも前提で考えるなら、ギーグ戦のネスはもう既に亡くなった後のそれこそ魂だけの存在になった姿で、最終的に帰宅し、母親に会った上で本当に本当の「終わり」を迎える事が出来たのかなと思っちゃうんですよね。
それを踏まえると、二回目のスタッフロールで見られる天才写真家の写真は、あれは写真じゃなくて本当は走馬灯なんじゃないかと思ったりもして。
最終的に「じゃあマザー2の世界って何なのよ?」ってなってしまいそうだが、個人的には「何処にも存在しない世界」なのかなと。
というか正直勝手な持論だけど、そもそも現実を舞台にしているのは1作目だけで、2も3も今で言う仮想空間の中の世界を舞台にしているのかなと。あくまで最終的なこじつけになってしまうかもだが、1作目のみ「アメリカ」という現実の地名が出てくるのに対し、以降は「イーグルランド」「ノーウェア島」という架空の地名なのも何か示唆してるのかな、とね。
何というか「ギーグが滅ぼした世界」がある関係上、時系列で言えば1→3が正史で、本編の「ノーウェア島」内を歩き回れる世界とは別に、外の文明が滅んだ世界があるのが3で(EDの「END?」の状態で動き回れる場所が個人的にそれだと思ってる)、2は最悪3と同時系列で稼働している別の仮想空間的なそんなイメージ。
じゃあ最悪、何でそんな「装置」を動かしているのか?ってなったら、個人的には「何らかの事象で精神的に、何なら肉体的にも大きく傷付いたギーグを癒やす為」だったのでは?と思っていたり。
何というか、前記事に少し触れたかもだが、マザー2の世界って楽しいしプレイしていてワクワクはする一方、妙な違和感といびつさがストーリー全体にまとわりついてるせいか現実的なのに現実感が無く、変な気持ち悪さ(※褒めてる)を表現してる感凄いんですよね。
(それがあっての前回記事だったんですが、脱線…というか途中で力尽きた)
極端な話、2の世界はギーグ自身の願望一部、大半は実際に体験した事を別の事象として揶揄表現された世界だったのかなと個人的に思う訳で。だからこそ妙ないびつさがそこにあったのかなと。
言うなれば元からマジカントとムーンサイドの要素が入り混じっていたのでは、なんて思っていたり。それがギーグ自身の癒やしになっていたかは別としてだけど。