「理恵っ!!」
最後に聞こえたのは梶さんの声だっただろうか。急速に意識が遠退いて雑音にその声は掻き消えた。
「・・・んっ・・・。」
「次長〜!!!」
「・・・え、とう?」
「大丈夫ですか?!」
「ここ・・・。」
「病院です!次長、僕を庇って頭を殴打されたんです!平気ですか!」
「多分どうもないわ。・・・衛藤は戻って。・・・倉林、一人にしたくないんでしょ?」
泣きそうな衛藤に苦笑して体を起こそうとする。後頭部に鈍い痛みが走って一瞬眉をしかめた。
「起きちゃダメですよぉ次長!」
「ねえ、衛藤・・・。」
「はい!やっぱり痛いですよね・・・。横に・・・!」
「あの時・・・。」
「え?」
「いや。いいわ。平気だから戻りなさい。心配かけたわね。」
不思議そうにしている衛藤に微笑んで点滴の薬剤名を確認する。鎮痛剤のようだ。解熱作用もあったはず。迷っているようだったが、取り敢えず衛藤は仕事に戻した。
あれはただの願望の表れ?「理恵・・・か。」
呼ばれたいと思っていた。私だけずっと名字の南のまま。比企さんは上司だから名字でも不自然じゃないけど。
「慶護、なんて・・・呼ぶ日あるのかしら・・・。」呟いて後頭部を撫でた。何げに結構痛い。打ち所はそんなに悪くもなかったようだし。問題はないだろう。点滴の残量を確認して零れた溜め息は自嘲ぎみていた。
「梶君。」
あんなに焦ったのはいつぶりだろう。
「梶君。」
目の前で倒れた華奢な体。本来ならかなり武闘派なのに。迷いもなく快を庇って傷を負った。
「梶君たら。」
「え、あ、ワリ。何だ?」「早めに上がって病院行っておいでよ。」
「え?」
「気になってるんでしょ?書類逆さま。煙草と間違えてライターくわえそうになったり。」
「いや。あー・・・。」
「それに梶君から言っといてもらわないと。理恵さん明日にでも出勤してきちゃいそうだし。」
「しかしな・・・。んー・・・。」
「誰だって気が気じゃないよ。好きな人が目の前で怪我したら。」
「ちがっ!おまっ!」
そう言う事を言うならせめて他の人間がいないところにしてくれ。なまじ図星だから顔が熱くなる。
「否定しなくても理恵さん以外気付いてると思うよ?」
「なっ!まっ!」
「ね、春君。」
「興味ねえ。ま、あんだけでかい声で名前絶叫してりゃ気付くなって方が無理だけどな。」
「あ、あれは・・・!」
確かに叫んだ。ほぼ無意識だったんだから仕方ない。課室全体の空気も「解っている」と言う雰囲気。俺はそんなに解り易いのか。いつもは南と呼んでいる。それも気持ちに気付かれない為。それもどうやら無意味だったらしい。不謹慎だが良い響きだった。理恵。これからは普通に呼んでも良いのだろうか?
「ほら。行っておいでよ。」
「・・・悪いな。行ってくる。」
比企に促されて上着を取る。快と入れ違いに課室を出て、何となく緊張している自分に苦笑した。
「南さんなら301号室ですよ。」
看護士に聞いて病室の前まで行く。気持ち深呼吸してドアをノックする。
「どうぞー。」
暢気な返事が返されてドアをスライドさせる。
「おまっ!」
一番に目に飛び込んだのは窓辺に佇む頭に包帯を巻いた部下。
「お疲れ様です。」
「横になってろ!点滴もまだなのに何で起きてんだ!」
「雨が降りそうだなって。帰り濡れたくないじゃないですか。」
「心配しなくてもお前は今日は帰れない。」
歩み寄って取り敢えずベッドに戻そうと腕をそっと掴む。
「帰りますよ。病院嫌いだから。」
「頭なんだぞ。何かあったらどうすんだ。ほら。いいから横になれ。」
「ベッドも固いし。」
ベッドに連れ戻しても横にはならない。
「横になれ。頼むから。理恵。」
呼んでしまった。反応が気になって視線が合わせ辛い。
「こんなに響くものだったかしら。」
「え?」
「自分の名前が特別に聞こえるなって。」
そんな事を言われたら期待するなって言う方が無理だろう?言っても良いのだろうかとチラリと理恵の顔を見る。穏やかに目を閉じた深い微笑。
「あのな・・・。」
「なんでしょ?」
「・・・俺さ・・・。」
ここまできて躊躇いも湧く。もし俺の思い過しなら明日からどんな顔して仕事したら良いんだろう。
「続き言わないと寝ちゃいますよ。」
からかうように言うこいつは俺の言いたい事を解っているのだろうか。
「惚れたんだ・・・。」
「え、誰に?私、失恋ですか?」
「え?」
「夢じゃなくて名前呼んでもらった直後にブロークンハートは辛いですよ?」
「いや。だから。お前に惚れたんだよ!」
思わず大きくなった声に口を押さえるが。理恵は一時ポカンとしていた。
「え、え、いつから?いつから?」
こいつでもパニックは起こすのか。可愛い一面を見た気がして心なしか上気している頬に触れる。
「一目惚れってやつかもな。」
囁いてそっと覆いかぶさって唇に触れる。
「理恵・・・。」
人の名前なんてこんなに響くものだっただろうか。嬉しそうに綻ぶ目の前の潤んだ瞳。
「夢って・・・叶うんだ・・・。」
「え?」
「好きだったから。いつか同じように好きになって欲しいなって・・・。夢だったから・・・。」
「好きだよ。さっきも仕事ができなくなるくらいだ。お前に惚れてる。」
「点滴終わりましたか?南さん!あ、あれ、ごめんなさい。邪魔したかしら!」もう一度唇に触れようとしたが看護士の登場でかなり焦った。看護士も焦っているが理恵は笑っている。
「病院でオイタしちゃいけませんよね。点滴は・・・終わったみたい。続きがしたいんで早く退院させてくださいね。」
「ダメだ。お前は一時ここで養生してろ。」
「焦らさないでください!私だって名前で呼びたいんだから!」
「呼べば良いだろ。」
「病院じゃムードがない。ので、帰りたい。」
二人きりになりたいのは同じだが。取り敢えず一時はこいつを休ませる説得をしよう。
帰りたいと連呼する理恵に苦笑してそっとその頬を撫でた。
「怪我が治ったら食事にでも行くか。」
「作りますよ。料理得意だから。でもデートはしたい。」
「理恵。」
「はい。」
「お前は思いの外可愛いな。」
笑いながら告げると顔を赤くして唇を尖らせている。これからはこんな可愛い表情もたくさん見れるのだろう。取り敢えず退院したら名前で呼んでもらう事にする。また理恵が滅多に見せない表情が見れるのかと思うと、名前ごときでテンションの上がっている自分がいた。