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院長先生の技術

2012年9月24日23:38

続きです。

私「どうしたの!!?」

と慌てて駆け寄る。


母「温めなきゃと思ってタオルケット掛けようとしたら抵抗して…!押さえようとしたら信じられない力で突っぱねて…!」


ベルの名前を呼び顔を見ると…

瞳孔が開ききったまん丸な眼。
でも何処も見ていない。
呼んでも眼球が動かない。

体中がフワってなりました。全身の血の気が引いた感覚。

「え、まさか…こんな急に?」
と信じられない気持ち、まさかまさかまさかまさかとしか思えませんでした。

「ベル…?

ベル!?

ベル!!!ベル!!!!!!!」

叫びは反応を確認する呼びかけから衝動が止められない叫びに変わりました。

母さんが言ったのか私が思いついたか分かりません。
気づいた時には人工呼吸をしていました。

心臓の場所が分からなくて。いつも聞こえていたのに正確な心臓の場所くらい確認しておかなかったことに心底後悔しました。


とにかく猫の呼吸くらいの速さで息を吹き込みました。
入れた瞬間に柔らかそうな喉が膨らんだのを見て、喉に息が入っているのを確認。おもちゃみたいに無機質な動き。


何度か息を吹き込むと

ビクンッ!

と四肢が動き、息を吹き返しました。


「ベル!?ベル!?」

と確認。


しかしまた呼吸停止。

もう一度人工呼吸。

またビクリと四肢が動きました。


「どうすればいい!?どうすればいい!?こんな拙いこといつまでも続かないよ!!」と思い、母さんに人工呼吸を交代。
何万掛かっても命にはかえられないと意を決し、隣町の大きな刈谷動物病院(いくつも構えてるような病院)に電話をしようと連絡先を調べました。
24時間対応なので、とにかく電話で応急処置なり人工呼吸なり何なり聞きたかった。

でも思うように手は動かず、この時も高額でも24時間体制の動物病院の電話番号を登録しておくんだったと後悔。


そのうち人工呼吸と心臓らしき箇所を押していた母が。

「ガクッて言った……」


まだ諦めない。この一度の諦めが命取りになる。私は諦めが悪い頑固な人間で今までやってきたんだ最期まで粘るんだ!!!

その一心で、震えの収まらない手で必死に苅谷先生の連絡先を調べました。



「苅谷先生に…苅谷先生にでんわ…」


「るかちゃん、」


「かりやせんせ…
かりやせんせぇ、
かりやせんせぇっ、
かりやせんせぇ…っ!」


「…るかちゃん、だいてあげて」


「まだ…、
かりやせんせぇ、、

かりやせんせー!!!!」


「るかちゃん、

…もうガクッて言ったから………」









ひたすら、ただひたすらベルに頭を下げて謝り続けました。




声がかれるまで。
















諦めた時

指は、通話ボタンに触れていました







正式な癌宣告から4日目の夜のこと――
▼追記

2012年9月23日06:15〜24日23:00過ぎ

【2012年9月23日(日)】

朝から雨。
蒸気のある所に行きたがり暑がる日々が続いたけど、その日は雨の為涼しかったです。

暑がる理由は腫瘍が熱いのかなとか思っていたので、大きめのうちわで扇いだり湿気を増やしている生活でした。

体力が限界だったので3時間程仮眠を取り、朝6時に起きると、ベルは風呂場の洗い場で横たわっていました。湿気を求めての行動です。

雨だったから窓を開け、また大きなトキヤうちわで扇ぐ1日が始まりました。
ベルが湯船の端のタイルに移動し、お腹が冷えないようタオルを掛け、枕を宛てました。
呼吸が楽そうになりました。
もっと湿気を、と壁に水を掛け、霧吹きもしました。
起きた母さんに加湿器や色んな蒸気を出す機器を出してもらいました。

洗い場に敷いた新聞を自分で代用して排尿した賢さに驚愕しました。


午後13時半頃、ある事と湿気で体温を失ったのが原因で、何日も瞳孔がまん丸だった瞳孔が細くなり、緑に光り始めました。

慌てて母さんを呼び、14時、病院が始まるのに合わせすぐに連れて行ってもらいました。
私はもう体が融通が利かなくて留守番。

病院に行った母さんの話。
・瞳孔はまた開ききっていたものの完全に口で息する程呼吸が荒かった
・院長「肺の水を抜いてる最中、若しくは3日以内」と余命宣告。

水抜きで待っている間、母さんから連絡がきて、急いで支度。
神様も獣医も誰も助けてくれなかったから、祖父母に手を合わせ自転車で出発。

亡骸と対面か本当に分からない状況で待合室にいました。生きている心地がしませんでしたが結果は成功し、安定しました。
漏らしたベルと対面しました。
腎臓を犠牲にして、肺の水を抜く薬になったからです。(腎不全・利尿作用)
体温は34℃になっていました。

帰りは母さんが自転車(ご飯を買いに)、私とベルはタクシーで帰らせてくれました。

帰宅してベルを私のベッドに乗せようとしたところ、嬉しそうに私の胸を蹴り、飛び乗りました。

それまではその日のように風呂場か、用事で忙しい母さんの傍にいたいからと暑いのにキッチンで寝ていました。

でも私のベッドが大好き。床と違いベッドもふわふわ。狭いから空調も整っているのでベルには最適だったので。

そのまま寝かしつけていた後、ベルがベッドから下りました。
「危ないよ」と抱き上げたらそのまままた漏らしてしまいました。においも色もありませんでした。
ベルを拭き、また寝かしつけ私はモロにおしっこを浴びたので着替えました。

暫くして母さん帰宅。
ベッドのまま、その日初めての簡単な食事をとりました。

母が、買ってきてくれたペットシートをあちこちに敷いている間、私がうとうとしてる隙にまたベルが起き出しました。

ドアの前でペットシートを準備していた母の横をあっという間にすり抜け、追いつかない速度で階段を駆け下りてしまいました。
駆け下りたというか、手足に力が入らなかったから下りきったという感じ。

猫砂での排尿でした。
凄い誇り高い子なんだなと再確認。

もう階段は危ないのでまたキッチンで寝かせることになりました。私とベルと母さんの川の字で。

父はいた記憶が無いので仕事だったんだと思います。私が「もう家で煙草吸うな」とブチキレてから逆ギレなさったようで、家に居ても一日中海外ドラマにふけっていましたが。


あと。
寒い冷たい場所ばかり探す理由を院長に訊きました。
簡単に言うと、
“人間が風邪を引くと熱が出てるのに寒さを感じることの逆”
だそうです。

もっと早く言っておくれよwwwwwwwwwってなりました。



【2012年9月24日(月)】

朝、久しぶりに抱けました。
その日の朝だったか曖昧ですが、阿佐ヶ谷に住んでる兄者に電話。
いつどうなるか分からないと話をしたら、打ち合わせがあったものの、その後直ぐに帰ってきてくれました。15時頃だったと思います。

まぁ、何をするわけでもなくベルのそばに寄って「遊ぼーよー」とふっかけたり、ゲームする兄者。

晩ご飯時。
兄者もいるので久しぶりにリビングで食事をとることに。
ベルは相変わらずキッチンで、キッチンには母さんもいるけど、早く済ませようとリビングに向かいました。
その時の体調は35℃台に復帰していました。

そしてバイオハザードをしながらご飯を食べる兄者と私で会話をしていたら
「どこいくの…!?」
と母さんの驚いた声が。

兄者と私でキッチンの方を覗くと、今まで2〜3mよろよろと歩くのが精一杯だったベルが、7〜8m程あるリビングまで歩いてソファに上ろうとしたのです。

私が抱き上げていつもの特等席(3席連なってる右の席、テレビが良く見える場所)に下ろすと、ハァハァ言いながら丸まりました。

家族がちゃんとみんないて、家族の輪にいるのがベルの幸せだったんだと改めて気づかされました。

何ヶ月も殆ど兄者は阿佐ヶ谷にいて居なかったけど、それ以前からもずっと
私の舞台・レッスン
兄者の舞台・仕事・女問題
父の趣味の映画に付き合い外出
それに振り回されあちこち買い出しに行く母

などで昔に比べ家族が揃う状況が少なかったから。

ベルは環境が変わると直ぐに心身に異変が出ていました。

21時頃、仕事があるのか兄者は阿佐ヶ谷に行きました。
「明日も帰ってくる」と言っていたけど勿論ベルにはそれは分からない。
兄者が帰った直後からまた息が荒くなりました。

23時過ぎ。

私はベルを扇ぎ、母さんはキッチンで用事。
ふと…「癌が活動活発になるのって何度?」という話になり私がiPodで調べることに。
電波が悪いのでWi-Fiに寄り作業。
その間母さんが団扇交代。


35℃でした。


「えっ!!!じゃあ温めなきゃ!!!!!!」
と焦る母さんと私。

詳しく調べている間、母さんが一生懸命タオルケットで温めようとしました。


そして。


「ベル!!?ベル!!!」

母さんの叫び。

見ると、体を仰け反らし硬直したベルの姿が…


ぽつぽつと、書いてみます

ものすごくひさしぶりに日記かきます。


メールもコメントもお返事滞っていてすみません。
滞ってはいますが、涙ぐむほど支えになっています。ありがとうございます。
ずるずる引きずってごめんなさい。

ぼくは元気です。

やらなければいけないことでも、未だに喋りたくもないし歌いたくもない。
憎しみや怨みが底を知らぬほど込み上げてきます。
殺意とかめんどくさいのじゃなく地味に獣医の看板にスライム投げてでろでろにしたろか、とか。

でもこの想いを吹っ切りたくない。
泣けなくなる方が、怨まなくなる方が恐いから。

時が経つと思いも思い出も感触も薄れていくものです。
でも全部昨日のことのように覚えていたい。


どんな心情でも、世界は廻ります。いつまでも周りに気をつかわせてしまうし、家の中が暗くなってしまうから。何よりベルが哀しむから。


そう思うのは、ベルの明確な意思があるから。

最期の日、まだ“その夜死ぬ”とか全然分からない朝…
息が荒くなってしまうから抱けないと思っていたのに、その朝は奇跡的に抱けました。

母さんは薬を飲ませる時に抱く担当。私は口をこじ開ける担当。だから私は本当に久しぶりに抱きました。

せきを切るように出た涙が先かソレが先かは覚えていません。


一生懸命手を伸ばして頬をさすってきたんです。

ベルも久しぶりが嬉しかったのか、私が泣いたから「かないで」って言いたかったのか。

どちらか今では覚えていないけど(それほどビックリしました)、
「もしベルが慰める為に手を伸ばしたのなら……」と思ってのことです。

その毛と爪の感触も、一生忘れたくありません。
まだ鮮明にその感触を思い出せます。
縋るように何度も握ってきた手の握力も。

それらをやってきたのは私にだけだから不思議です。
ベルが一番好きなのは母さんなのに。

だからこの感触は私が大切に保管しなければいけない宝物。




それらの気持ちや記憶以外何も気持ちに整理がついていません。
四十九日とかそんな日数で整理つくかー!
と思います。


だって…他人や家族のせいであり、私の14年間の甘さ、そして浅い知識がベルの死の瞬間を決定づけたんだから。


整理つかないし加害者と鈍かった自分が憎い。



自分が憎いけど、“日常”を送らないといけないからいつも通りにしています。更にそんな図太い自分が憎いという負のスパイラル。
でもまた来年も不合格になったら、ベルに顔向けできないから、やる。




次の日記に、もう心に溜めておけないので記しておきます。
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