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責任と信用



とある特定の存在へ向けた批判、中傷の言葉が飛び交う様を見て。

実際に被った人自身、その影響を受けた人間が
物事への抵抗や権限の提示を発信している場合と、

第三者が当事者への忠誠心をアピールする目的で一緒になって口論を盛り上げようとしている場合とが

今の私の目には目立って映っていた。


後者の目的は自身の権限の意思表示でも両者の和解でもない訳だから
状況把握への関心は揃ってとても薄い発言が明白にその特徴と思えた。


ところで、
とある人間が誰かの味方になる1つのやり方として他人へ実際に言葉の攻撃を向けたとして
その人間の責任の持ち方はどうだろうか。
もし自分がたった1人でその矛先と相向かい合った時、一体その人の何が悪いとどれ程まで言い潰すつもりなのだろうか?
どんな態度でいるつもりなのだろうか。

誰の味方をしようと、それはその人自身が決めた意思だ。その人が放った攻撃の重きはその人自身が背負うべき。
だから良く考えなくてはいけない。

自分1人残されて、不必要だった筈の所で気分悪くなる事があっても
或いは大事にしたかっものを失ってから後悔して「ごめんなさい」と言っても
その時はきっと遅い。

もし一度、核心的に信頼を失った人間は、
その後どんなに間違っていない事を主張しても
本当によっぽどの事がない限り一切信用されなくなる。

嫌いな人間が述べる正論はただの正論であって、もうそこに信用や信頼は生まれない。
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感謝と謝罪󾮆

人の中で孤独。


なかなか、「普通の」日本人の中ではやっていけない私は
やたら外人スタッフとばかり仲良くなる。
昔の職場ではミャンマー人とキッチンを組んだ。
その次はバングラデシュ人と。


その次、今の掛け持ちの旧職場の方ではベトナム兄さんと組んで、
彼が卒業してからは
直ぐに入れ違いで入って来たネパールちゃんと話すようになった。
今年二十歳の女の子だ。


まだ数回しか被っていないけれど
国の祭りの事とか
向こうでの食生活や気温やら
色々話してくれた。



暫く
私は新しい掛け持ち先に出勤する日が増えて、
先日久々に旧職場でそのネパールちゃんと被る日が来た。

しかし当日、彼女は休みだった。
体調不良だと聞いた。


聞けばここ暫く何かしらの病気で具合が悪かったらしい。


少し思う事があり、社員に訪ねてみた。
「彼女がベジタリアンだと知ってましたか?」


彼らは知らなかったようでたいそう驚いていた。
それもその筈、この店は和牛の希少部位を看板に扱う「肉屋」だから
賄いも当然肉の切れ端になる。

正しくは、絶対的に肉が食べられないベジタリアンではなく
好んで食べない、といった程度。
とは言っても、向こうの家庭では一切動物タンパクは摂取していなかったようだ。


そりゃ体調も崩すだろう。



ただここで見誤ってはいけないのが
彼女が身体に合わない肉を食ったから体調を崩したのでは
きっとないと言う事。


出された食事に何の文句もつけず
健気に仕事をする彼女だ。


これだけの回数出勤していて、
誰一人として彼女の本来を知らない。
しかも本当に大事なことを、誰も知らない。

自己開示の許されない環境。

これは苦しいよ。
本当に、人としての心身の機能が落ちる程に、痛くて苦しい。
孤独を感じる。


私が外人さんとしかなかなか仲良くなれないのは
私がグローバルに対応している訳じゃ決してない。


文化の違いがまず当たり前の精神でいるのに
皆同じが当然を疑わない人達の中に放り込まれて
そこで感じる孤独の共鳴なのかもしれないなぁと
最近思い至る。


こんな髪色で
こんな生い立ちで
こんな目線を持って



音楽をやっている人や、その他
自己開示の手段を持っている人は
こういう話はとても解ってくれる事だろうと思う。

そんな仲間の内から外に出れば
酷い孤独に押しつぶされそうになる。

嫌いな奴ほど傍に置け

悪い奴じゃないのだけれど、ちょっとなぁって言う存在程
ある程度のことは言い合えるようにしておける努力はした方が良いと思う。

いろんな人に当てはまる訳ではない、
下手な奴が無理にそうすれば確実に争いになる、
例えば昔の私みたいな奴。

嫌いな奴の信頼を見つける。
嫌いな奴に信頼して貰う。
軽い悪態程度では崩れない程度のちょっとした信頼。
立派な所だけ褒め合う関係より
それこそ良い友達になる可能性は高いや。

そんなに難しいかな?

難しいね、今まであまりにも難しかったから
こうして初めから距離を置いてきた。

出来そうなら、やってみれば良いんだ。






そもそも、私が先ず偏った性格してるから。
お先に距離置かれる可能性とてもとても高い。
私が先にそんな距離を置く相手を許さないと始まらない。

嫌われたから嫌い、に違和感を覚える。

表現の在り方


仲間を探すビラを配っています。
ボーカルとしてのメンボがメインだけど、ただ組みたいのではなくて
バンドマン以外にも生き方そのものとして表現に向き合う私の在り方を知って欲しくて
オモテ面に私の絵の方の代表作が載せてある。
アクセス先のHPは音源制作の告知も載せてある。

印刷しては一つ一つ手作業で切って、
裏に毛筆にアクリル絵の具でメッセージ、ボールペンで追伸、
それからもう一枚追加で私の絵ではなくデザインアートを宣伝する紙、
これをまとめて一セット。

掛け持ち勤務だから、休める時間なんて限られているけど
仕事で外出するタイミングでお願いに回る。折込の場合は。
勿論、ビラからのアクセスは殆どありません。解っていてそれでもやっている。

その、アクセスの見込めない一回の配布で印刷代もお金も時間もかかる。
1日眠らないで書いても60枚が限界だった。








全然人前に立つ機会を掴めないし、一向に広がらない中で

今出来るもどかしい程に小さな発信を続ける事は本当に心が折れそうで

その辛さに、ならいっその事と感覚や熱意が麻痺しかける。
その中で

その人同士は繋がっていない筈の私の周りの複数の人、
それは本当に限られたたったの数人だけれど

その人たちが同じ内容ととれる言葉を言ってくれている事に気付いた。

だから、これは今の私がようやく得られた評価の
世間体の、繋がり稼ぎのお世辞ではなくて
私自身が信じて良い評価だと
縋り付くほどに哀しく、それでもなんとかやれているよ。



君の表現はもっと人に前に出るべき、知られて欲しい、とか
もの作りとは暫く離れていたけど君を見てまたやってみたんだ、新しくやってみたんだ、とか

この2つ。これだけは確かに。
あぁ嘘じゃないんだと思える確実な言葉で
色んな言い方で、この内容を言って貰える。



私の作品は一部の人間しかわからないような物事を
更に言葉としては伏せて遠まわしに言っている部分もあるし
内容的に、
大勢の人間から評価される訳じゃないし、
もしそんな事があろうことなら逆に困ってしまうモノだけど

本音は、本当に、ちょっとでいいから同じ人間を捕まえたいし、
その為にバンドの形で人前にでるチャンスが欲しいと、準備は絶えず進めている方だと思う、
そうやっているから次に繋げる事に何度も失敗して余計に嘆く

ただしやり方(主に性格)に難有りって奴ですね。
どんどん人と知り合って仲良くなる姿勢を持つ、のが苦手で
そこをどうにか補おうと今凄く必死。





人には、気が向いたら応援(実質的な協力を)して貰えると嬉しいな、って言うけど
それは、ごく一部の人にしか言えない。

自分の表現のブランド化を目指して進んでいる人には言ってはいけない事。
だと私は思っていた。

名前、はその人が背負っているもの。
それは名前を連ねたいなら前提として在るべき結果。

前提を築けていない私の名前でその人のブランドを汚す訳にはいかない。
それは人々の内の評価。


昔言ったことを、ここでもう一度書こうかな。
人は、自分を示す名前があって、その名前を周囲に呼んで貰う中で
その名前である存在と言うものを確立していくような生き物。

人にその名前を呼んでもらえない存在は、ただの定まらない存在ですらない。

哀哭、鏡、は活動名として使っているけど
活動名として見留められるような呼び声(評価)は得ていないから、ね、



先ずは私の個人名ではなくて
先にバンドの名前を呼んで貰える日を追いかけ続けてるよ私は。


ははは。




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