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緑茶の香りと故人の記憶

ペットボトルの調整されたものではなくて
茶葉から緑茶を煎れると、母方の祖母の事を思い出す。


小さな頃から、親の帰省にくっついて上がり込んでは、ジュースではなく必ず緑茶を出してもらって
なんだか良く分からないけれど、毎回美味しくて私は数回おかわりしていた。


1度だけ祖母の家に一人で泊まりに行った。
その前に姉もひとりで止まっていたから、思いつきと両親の賛成ですぐに実現した。

幼かったそれまでの私は
おばあちゃんおばあちゃんと喜んで手を引っ張り回していたのに、なんだかそのお泊りの日に久々に祖母に会ったら、一定の距離をとって気軽に声をかけられなくなってしまっていて
後々思えばあれが人見知りを覚えると言う奴なのだと思う。

その頃になってもお茶の味は変わらなくて。いきなりだったから、相手の家に負担がないようにと母が持たせてくれた冷凍ピラフを夕飯に食べた。
その頃の私は祖母の負担などと気が回らなかったので、本当は祖母の手料理が食べてみたかったけど、せっかく母が買ってくれた御馳走も出てきた事だし妥協した記憶。

翌朝、本当は早くから目が覚めていたけど、人見知り過ぎて祖母になんて話しかけたらいいかわからず暫く布団の中で目をつぶって
(多分起こされるまで)まだ寝ている振りをずっと、長い間そうしてタイミングを伺っていた記憶。
なんてシャイなの。

そして祖母に「あんまり話してくれないから、おばあちゃんちょっと悲しいよ」って話されて、
起きてからふと気が軽くなった気がして
そこからあまり気負いせずに済むようになって勝手に家の中を探索しては
気になるインテリアを見つけて祖母を呼びに行ったりしてたっけ。

祖母も昔は私の実家に何度か遊びに来てくれたけど
次はいつ泊まりに来るの?と両親に何度も訪ねるうちに
あれこれと忙しくなって
結局そのままわたし達は大きくなって
祖母は年をとって

自転車に乗れなくなって

歩くのが大変になって

体を悪くして、老後施設の病院に入って

ゆっくりと。

しっかりボケて母のことも思い出せなくなって

それでもどこかわたし達のことは、そこらの他人様とは違うような感覚は残っていたみたい。

どうしても、思い出せない、解らない、
それが申し訳ない、そんな顔をするものだから
祖母のそんな顔を見たくなくて

わたし達の事を老ボケで忘れてしまっても、それは仕方のないことだから
むしろ大ボケするまで長生きしてくれてありがとうレベルだし
なら笑顔でいてくれれば良いと

わたし達は会いにいく回数も減った。



成人式の日は流石に姿を見せに行った。
祖母はその頃にはもう殆ど喋らなくなっていたけれど
私の振袖姿を見てただ嬉しそうに笑った。




祖母に会ったのは
その日が最後だった。









成人して、地元を離れて生活を始めて。

そのは秋だったから、肌寒さを感じ始める夜にふと思いだす。
そして、茶葉から煎れた緑茶の香り。






子供の私だったから、祖母は私からしたら祖母でしかなかったけど

今の私が見たら、彼女はどんな人なんだろう。叶うなら今の私の目線で
祖母を1人の人として見てみたかった。

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