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責任と信用



とある特定の存在へ向けた批判、中傷の言葉が飛び交う様を見て。

実際に被った人自身、その影響を受けた人間が
物事への抵抗や権限の提示を発信している場合と、

第三者が当事者への忠誠心をアピールする目的で一緒になって口論を盛り上げようとしている場合とが

今の私の目には目立って映っていた。


後者の目的は自身の権限の意思表示でも両者の和解でもない訳だから
状況把握への関心は揃ってとても薄い発言が明白にその特徴と思えた。


ところで、
とある人間が誰かの味方になる1つのやり方として他人へ実際に言葉の攻撃を向けたとして
その人間の責任の持ち方はどうだろうか。
もし自分がたった1人でその矛先と相向かい合った時、一体その人の何が悪いとどれ程まで言い潰すつもりなのだろうか?
どんな態度でいるつもりなのだろうか。

誰の味方をしようと、それはその人自身が決めた意思だ。その人が放った攻撃の重きはその人自身が背負うべき。
だから良く考えなくてはいけない。

自分1人残されて、不必要だった筈の所で気分悪くなる事があっても
或いは大事にしたかっものを失ってから後悔して「ごめんなさい」と言っても
その時はきっと遅い。

もし一度、核心的に信頼を失った人間は、
その後どんなに間違っていない事を主張しても
本当によっぽどの事がない限り一切信用されなくなる。

嫌いな人間が述べる正論はただの正論であって、もうそこに信用や信頼は生まれない。
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感謝と謝罪󾮆

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